こんにちは。なまけてブログにようこそ。
生きていくうえでは、いろいろなことが起こります。
不本意ながら、状況によって大きな決断やチャレンジをしなくてはならない人もいるでしょう。
『夜と霧』で書かれていること
ナマケモノが、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んだときに、特に印象が深かった言葉をおぼろげながら要約すると
過去は自分だけのものであり、未来は誰にもわからない。「今、ここ」しか自由になるものはない。
これは最近でもよく聞くフレーズですね。アドラーの心理学、禅やマインドフルネスなども、同じような発想から来たものなのかなぁと自分の中では咀嚼しています。
ただ、『夜と霧』に書かれている状況は、ナチス強制収容所の中で、ジェノサイドから生き抜いたという過酷な体験なので、平和のうちに生活している私たちにとってはなかなか伝わりにくいものなのかもしれません。フランクルは、「ロゴ・セラピー」の提唱者です。概要を知るにはこちらを参照していただけると良いかもしれません。
今、ここを大事に思うこと
「明日生きているかわからない世界であっても、信念をもって生きる」ことが実践できる人は多くはないでしょう。
しかし、生き残り、挑戦する資格を持つのはそういう人たちだと思います。
変換に適応しつつ、粘り強く生き抜くこと。これは生命に備わった能力であるとすれば、きっと誰の中にもあるはずです。
スティーブ・ジョブズも、ガンによって死期を悟ってからは、毎朝、自分の顔を鏡で見ながら「明日死ぬかもしれないが、今日やることは、それだけの価値があることなのか?」と自問自答していたといいます。また、福沢諭吉翁にも「今日も生涯の一日なり」という名言があります。
人間は、現在より、未来の方が時間的余裕があると錯覚してしまう生き物なのです。未来はあまりあてにせず、今やれることをやる。これが「今、ここ」の精神だと思います。
テクノロジーで未来予測ができるようになったら
ところで、AIが進化して人間の生活の中心になったとき(なるのかな?)、現在と未来についてチャレンジしていくアプローチは、どのように変わっていくのですかね?
ビッグデータの収集と量子コンピュータによって、近い未来に起こるできことが、いくつかの選択肢の中に正確に納まるような、予測ができるようになるかもしれません。
「今、ここ」という生き方がテクノロジーで変わっていくのか。もし、そうなったときに人間はいままでどおりに希望をもってチャレンジをしていけるのか。興味ありますね。
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