『竹青』を読んで、しょうもないことを考える

リラックス

こんにちは。なまけてブログにようこそ。

太宰治の『竹青』青空文庫で読みました。

なぜこの作品を読んだかというと、『怪談少年』(高橋葉介 ぶんか社)という漫画の中に、竹青という妖怪が出てきたので、元ネタが気になった調べてみたのです。

『竹青』で気になったこと

太宰治の作品のあらすじをざっくりいうと、いまいちパッとしない魚容という名の中年男に、仙女の竹青が2回試練を与えて、結局、魚容は自分の平凡な生活に戻っていくという、お話です。

そこで、ちょっと気になったところがあります。

魚容には試練を受けるような資格はあったのか?

魚容は、居心地の悪い郷里がいやになって、2回、家出します。その際、2回とも自分の女房をぶん殴ってから家出しています。まあ、作者の太宰が、理由を考えるのが面倒くさくなって、「また女房をぶん殴って家出した」って描いただけかもしれませんけど。

意気揚々と公務員試験を受け、でも2回落ちて、それでもプライドだけは高いという、しょうもない性格の持ち主です。

こんなの放っておけばいいと思うのですが、そういう愚者を救うのが神様の役目なのですかね。

竹青の試練は残酷

竹青は超美女で性格もいいお金持ちです。仙女ですから。
その美女が、魚容の妻になって、二人でラブラブしようというのですから、魚容は最高の気分で受け入れます。

でも、結局はそのウハウハ生活は、突然破綻して、魚容は人間の世界に戻ってきてしまうのです。それが2回行われます。

この「与えてから奪う」というのが、とても残酷な試練ですよね。
『銀河の死なない子供たちへ』(施川ユウキ 電撃コミックス)というマンガに出てくる「与えて奪うのは、何も与えないよりずっと残酷」というセリフを思い出したので。(余談ですが、このマンガはおススメです!)

これを2回もやられたら、魚容は精神崩壊するんじゃないかと思うんですけどね。

なぜハッピーエンドになるのか?

結局、とぼとぼと自分の家に帰ってくると、女房がなぜか竹青のような美女になっていて、しかも心根まで優しくなっていて、貧しくとも二人で暮らしてハッピーエンド、という終わりかたです。

平凡な生活で十分幸せ、というところはわかります。しかし、ぶん殴るくらい嫌な女房が大変身しているというのは、なぜ、そんなオチになるのか不思議です。

この段階でも、魚容は別になにも自己努力していません。変ってないんです。

でも、女房は変わった。これは竹青の試練を通ったご褒美なのでしょうけど、なんとも納得いかない話になっていると思います。

管理人は、こんな気まぐれで残酷な神様に目をつけられたくないです。
孔子様もおっしゃっています。”鬼神を敬して之を遠ざく”、と。

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