『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な、水木しげるには、「怠け者になりなさい」という名言があります。
ここで言う、怠け者とは、動物のナマケモノではありません。人間のことです。
現代人は常に忙しく動いて、働き、なんだかんだとバタバタ生活をしているうちに、死んでしまいます。
働かなくても死なない奴ら
戦後まもない復興の時期は、生活はいまよりずっと過酷でした。現実と常に向き合っていないと、コメが尽きて食べるものがなくなり、簡単に餓死してしまいます。たとえ餓死しなくも、女房子供が食べるものが無くて、空腹を我慢しているのを見るのは、つらいものです。
水木しげるが妖怪の世界を描いたのは、そんな世知辛い世の中にあって、少しでも幸福を得たいと思い、自分のこころの中にあるパラダイスを描いて見せたのです。
妖怪たちが面白おかしく暮らす世界。そこでは働くなんてことはなく、ゴロゴロと寝て暮らせばいい理想の世界です。その、こころのなかの原風景は、南の島にありました。
南の島で過酷な戦争体験
太平洋戦争で兵隊にとられた水木しげるは、南の島、ニューギニア島のラバウルへ守備隊の一員として送られます。過酷な戦線で飢えと熱病に苦しみ、さらにアメリカ軍の爆撃にあって左腕を失います。
こんな状況で九死に一生を得られたのは、現地の人たちとの交流があって保護を受けられたからです。
現地の人たちは半裸で暮らすような素朴な生活を送っていました。子供のころからおおらかで、暖かいところが好きだった水木しげるは、その生活が気に入ってしまい、終戦後も島に残りたいとも思ったほどでした。
貧乏なときにこそ、こころにゆとりを持つ
日本に帰った水木しげるは、腕のハンディがあるため重労働はできません。しかし、何かしら働いてお金を稼がないと、すぐに餓死してしまいます。そこで得意だった絵を描く才能を生かして、なんとか貸本の世界に入り、漫画家になりました。
当時のマンガ業界は原稿料がとても安く、しかも版元があっさりと潰れて無くなってしまうこともよくありました。食べていくのがやっとの状況で、不安この上ない生活でした。
幸い、『ゲゲゲの鬼太郎』を描いて、妖怪という優れたコンテンツを発見した水木しげるは、その後も漫画家として、93歳まで生きます。長寿の秘訣は、貧乏であっても、こころにゆとりを見つけるということでしょう。このことが凝縮された言葉が「怠け者になりなさい」なのです。
ちなみに、東京都調布市には、「なまけ者になりなさい」という、水木しげるにちなんで名前をつけた焼酎が売っています。興味のある人はググってみてください。
管理人も、ナマケモノを名乗るほどに怠け者にあこがれている(?)ので、リラックスして生きられるように、何度も心のなかで唱えましょう。怠け者になりなさい、怠け者になりなさい…
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