希望を持つことで、自分が未来を選択することができる

メンタル

最近注目を浴びているアドラー心理学ですが、そのアドラーの残した言葉にこんな警句があります。

「人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する」

病気であることを選択していないだろうか?

自分でも気が付かないうちに、人は病気を作り出すことがあります。病気になれば、行きたくない会社や学校に行かなくて済む。そんな「免罪符」を手に入れてしまえば、うまくいかないこと、気に入らないことはすべて「病気」のせいにしてしまうでしょう。

うつ症状に苦しむ人には、耳の痛い言葉です。確かにそのような面があることは、認めざる得ないと思います。

しかし、そのことは客観的に善悪で判断される事柄とは違う次元の話であると思います。病気になって、休む判断をしたのはあくまで自分です。他人の目や社会の常識などはあくまで参考程度のものにしかなりません。自分の判断に従って行動することが未来を作ることに繋がっていきます。

アドラーはさらに言葉を重ねています。

「たとえ不治の病の床にあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めること」

この力強い警句こそ、弱い心をもつ人たちにとって支えになるのです。

正岡子規の強さ

『病床六尺』を書き残した正岡子規は、脊椎カリエスという重い病気にかかり、晩年は病床から立ち上がることすらできない状態でした。子規はそのような状況でも、病床の周りの小さなこと、窓から見える糸瓜の花や、見舞客との世間話などから貪欲に生きる力を得て、新聞に連載をし、著述を続けました。

まるで、アドラーの警句そのものを体現したようです。子規は病気の苦しさのあまり自殺も考えるほどでしたが、それを実行することはついにしませんでした。子規のもつ心の強さがそこにあるように思えます。

「動けない自分」を冷静に見て、可能なことを行う。これが希望をもつ力であると思います。

希望こそ生きる原動力

子規ほど強くはなれませんが、管理人も、うつ症状がひどくて動けないときであっても、多少は冷静に自分を保つことができるようになりました。慣れもありますが、練習すればだれにでもできることなのです。

渦中にいるときは、浮かび上がるまでは辛抱するしかありません。それでも、ある程度の規律を決めておけば機械的に動くことは可能です。食事をする、風呂に入る、寝るといった程度のことでも、できないよりずっといいです。

絶望しきってしまえば、人は死にます。どんな状況であってもそれは同じです。例えば、ナチスの強制収容所に入れられた心理学者フランクルは、希望を他者にゆだねないことで最後まで生き延びることができました。逆に、どんなに恵まれた状況であっても、絶望して自殺を選ぶ人はいるのです。

「自分にはもう何もない」とう考えは間違っています。どんなに失っても、生きている限りは空気があって、呼吸をして、あなたは生きようとしているのです。

希望こそが生きる力であり、未来をつくるのは自分の選択であるということを常に意識しておくことこそが重要ではないでしょうか。

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