自分の中の子供を否定しないで生きるには。

リラックス

たいていの人は、自分の性格の中には子供みたいな部分がある、と思っているのではないでしょうか。

周りから、子供っぽい部分が全くないと思われている人は多いと思います。おおむね、成熟した大人の考え方で判断して行動できる人です。

しかし、周りの目が全くないときには、つい子供っぽさが出てしまったりします。

子供は感情で命令する

子供っぽさとは、つい感情的になって暴言を吐いたりとか、お客様との電話が終わった後、すぐに「むかつく」とか言ったりするような感じを表しています。

無邪気で、思ったことをすぐに口に出してしまう。感情が優先で、気に入らないことがあるとわめき散らし、興味があることには抑制もなく手を出してしまう。

「社会人」として、成人社会に迎えられるためには、これらの子供っぽさは抑制されていなければならないのが基本的なルールです。周りの人が、毎回毎回、子供をあやすみたいに扱わなければならない人からは、誰だって離れていたいと思うでしょう。

子供っぽさは、手懐けてこそ生きる

しかし、子供っぽさが全くないというのもあり得ない話ではないでしょうか。感情に一切左右されないような人は、いったい何を考えているのか分かりません。そういう人も社会からは外されていきます。裏でなにかを企んでいるかもしれないし、不気味で近寄りがたいですからね。

結論としては、普段は大人として成熟した判断と行動がとれる。普段は大っぴらには出さないけども、ときには子供っぽさが顔を出す。この程度が、人間としては、一番付き合いやすいでしょう。要は、普通の人です。

彼らは、自分の中に子供っぽさがあることを自覚していますが、うまく手懐けてもいるのです。決して、子供っぽさを否定しているわけではありません。否定してしまうと、おおきなストレスとして、いつか心身に悪影響がでるかもしれません。

子供っぽさを手懐けるには、「方向づけ」と「制約」が必要です。

方向づけとは、感情を爆発させないようにガス抜きすることだったり、空気を読まないで発言しないことだったりという、子供のしつけに似ています。

制約とは、誰も見ていないところであっても、守る最低ラインのようなものです。

この2つを自らに設定することで、とりあえず日本の大人社会では通用するのではないでしょうか。

日本人が持ちにくい「寛容」

管理人は、現在の都市部に住む日本人に足りないのは、「寛容」の精神だと思っています。

感情で動くことが子供っぽさなら、寛容性とは、許すこと、長者の貫禄を示すことです。自分の中の「老人っぽさ」であるかもしれません。

いまの核家族の生活では、お年寄りと一緒に生活することがなく成人になってしまいます。お年寄りの寛容性を学ぶことがなければ、自分の中の寛容性を育てる機会を逸しているのかもしれません。

無責任な周囲の大人からは、子供っぽさのほうが愛されることから、子供のまま大きくなってしまったりした人は多いです。それは不運なことですけども、寛容性は後からでも身に着けることができるのです。

ちゃんと身に着けさえすれば、寛容性は大きな武器になります

ゆとりがある大人として愛される人、信頼される人になれるのですから、寛容性を身に着けていくことは重要です。いちど、客観的に自分を見れるか、どこまでを許すことができるのかを考えてみるといいと思います。

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