2020年の正月は、一部のコンビニやスーパーで休店するという選択がやっと出てきたようです。
年始年末は街中が休業なのが当たり前だった時代
本当の昔、昭和の時代には正月なんて店が開いていないのが当たり前でした。それが、いつの頃からか年始年末も開いている店が出てきて、それに対抗するためにどの店も初売りと称して店を開けなければいけなくなった。
競争の激化で引くに引けなくなった小売店業界が、ずっとその業態を継続してきたけども、人口の減少と高齢化によって限界に達したということなのでしょう。そして、やっとまた正月はお休みするという、旧来の方針へ回帰してきたのです。
この長い回帰への道筋は、それなりに痛みを伴っており苦渋の選択のようにも見えますが、実はそうではなく、通らなければならない道だったとも言えます。
誰もが与えられたもの、与えられないものについて疑問を感じずに、ただ受動的に受け取り、それが日常となっていきます。この過程の怖さをある程度思い出させてくれただけでも、価値があることだったのではないでしょうか。
漁師の寓話

リゾート地近くの漁港で、日々のんびりと漁をしてその日暮らしを楽しんでいる漁師がいました。
都会からバカンスでやってきて暇を持て余していたコンサルタントが、その漁師を見て話しかけます。
コンサル「こんなにのんびりとその日暮らしをしていたら、お金も貯まらないでしょう。もっと働いたらどうですか?」
漁師「特に困ってはいないんだが、その、あんたの言う通りもっと働くとどうなるんかね?」
コンサル「まず働く時間を増やして、お金を貯めましょう。そして、人を雇い、船を増やしてもっともっと漁獲量を増やすんです。儲けになりますよ」
漁師「儲かったら、どうなるのかな?」
コンサル「あなたはこんなところで汗水たらして働かなくて済みますよ。仕事は人にまかせて、バカンスにでも行って、リゾート地でのんびりすることだってできるようになりますよ」
漁師「その、のんびりした生活は、いまのわしの生活と何が違うんかね?」
コンサル「…」
シンプルな生活を選択できない日本人
この漁師は幸運であろうと思います。ムダな過程を経なくても、人生を楽しむ家業のコツを知っていたことになるのです。すなわち、シンプルに、生活の糧を得るだけは働き、あとは自由に自分のために時間を使うこと、です。
日本人は、この寓話のような生活を選択することは難しいでしょう。貧困のなかにいて、他に選択肢がない場合はしかたがないのですが、自らの時間に最大限の価値を見出し、それを守るために仕事や生活スタイルを選ぶということをした経験が少ないからでしょう。
また、日本人の性格としての子供っぽさがそのシンプルライフスタイルを阻害します。一度、与えられたものについて、取り上げられるのは苦痛です。その苦痛について、大人の考えで対処することが苦手なので、結局はクレームという子供っぽい解決策しか見いだせないのです。
このあたり、原罪は江戸時代の統治制度にありそうな気もしますが、そこまで遡らなくても敗戦後、アメリカに富という拷問道具でいたぶられ続けた日本の末路なのかもしれません。
便利になることはいいことですが、自己責任を負いましょう、というのがまとめです。
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