七つの大罪と東洋的処世術

リラックス

七つの大罪」は、有名なマンガ・アニメにもなっているのでその内容を知っている方も多いとおもいます。

この文章では、マンガの内容は扱っていないので、間違って来てしまった方は、他のサイトに行くことをおすすめします。

七つの大罪とは

良く知られているのが、「憤怒」「傲慢」「強欲」「嫉妬」「大食」「色欲」「怠惰」の7つです。キリスト教的なルーツを持っているので、東洋人的にはいまいち罪なのかどうかわかりにくいものもありますが、いちおう、そうなっているということで。

また、2008年にローマ法王庁が発表した「新・七つの大罪」もあります。「遺伝子改造」「人体実験」「環境破壊」「反社会的行為」「貧困を生み出す」「不正な金儲け」「薬物乱用」となっています。半数くらいが、バイオテクノロジーに関わることであり、神の姿をまねて創られた人間の身体に人工的な変化を与えてはならないという、カトリックの教えに反しているということでしょう。これに準じようとすると、大手薬品メーカーやバイオテックなどは「罪びと」のレッテルを貼られてしまうでしょうね。

普段の生活に当てはめてみる

自分の生活の中で、罪になるのかどうか、判断に困ることがあると思います。たった7つに集約するわけにはいかないのですが、上記の7つの罪でいえば、ほぼ「やらないほうがいい」ということになるでしょう。

「憤怒」「傲慢」「怠惰」な人と、一緒に仕事をしたいとは思わないでしょう。自分が苦労するのが目に見えているのですから、近づかないようにしたいわけです。自分がもしそのような状態なら、相手からも全く同じ対応をされるでしょう。

「大食」「色欲」は、現代日本では、公的な場所ではすこし控えて欲しいと思うものですが、さほど罪と感じません。だけれども、やはり見苦しさや迷惑さなどを考えれば、一緒にいたいと思わないかもしれませんね。

「嫉妬」と「強欲」は罪なのか

難しいのは「嫉妬」ではないでしょうか。三木清の「人生論ノート」にも、愛と嫉妬は紙一重、コインの裏表になりえるような恐ろしい罠であることを指摘しています。単純に割り切ることが難しいのです。

「嫉妬」はある意味では、コンプレックスが持つパワーのようなものを与えてくれるものでもあります。しかし、三木清は公共性において、競争心と嫉妬は違うものと明確に分けています。公事では確かにそうかもしれません。しかし、常に正々堂々と競争することとだと割り切れないものが、嫉妬にはあります。

ここでは我慢するけど、いつか見返してやるという、負のパワーでも推進力にはなりえるのです。むしろ口に出して公に競争するぞ、というほうが少ないでしょう。

陰になりやすく、しかも強烈なパワーを持っている嫉妬をうまく使いこなすことこそ、人生の経験がものをいいそうです。

もう一つの罪「強欲」。これも、ある意味「嫉妬」と同じように扱うべきものでしょう。欲は誰でも持っているものであり、良い方にもっていけば結果を出します。

ここでいう罪とは「強すぎる」欲のことなのでしょうね。あまりにもその欲望に執着しすぎて、周りが見えなくなるほどであれば正気を疑いたくなるものです。

東洋的思想で見てみる

東洋人の智恵として、中庸を掲げて処世術とするのが徳であることを知っています。現代の変化が激しい世界では、中庸を守ろうとする人は一見、愚鈍に見えるかもしれません。けれど、その人こそが賢人なのです。

わざわざ7つの大罪に行動を照らし合わせなくとも、中庸を守ることができれば、それで人生の処世は慣性です。それが難しいのですけども。

まあ、世の中の流れにあくせくし、小さなことに過剰に反応してはピーチクパーチクするしかない軽薄な人生よりも、足を地に着けて確実に立ち位置を持つ人になりたい、とは思います。


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