劉邦軍は副交感神経の自律作用と似ているか

リラックス

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』のなかで、こんな内容があったことを思い出しました。

劉邦軍における張良の役割

張良が劉邦の幕下に入り、秦を攻めるために西進します。秦の都である関中までには、いくつもの城郭があり、秦の軍隊を破って進まなくてはなりません。

劉邦は、張良のことを信頼して、劉邦軍の全統制権を預けてしまいます。その気前の良さに驚きつつも、まるごと信頼されたことに恩義を感じ、張良は持てる能力のすべてを使って、次々と秦の軍隊を破って行軍していくのです。

しかし、張良自身が思考能力の塊であり、唯一の司令塔であるがために、相当な負荷が張良個人にかかります。そのため、ある程度軍隊をすすめたところで、統制権を劉邦に戻すのです。

「私が軍隊を動かすと、はじめのうちは上手くいきますが、やがて無理が生じてうまくいかなくなります」と正直に自分の能力を劉邦に告げる張良。

劉邦は「自分など馬上で居眠りしているだけだ」と笑い、統制権を受け取り、張良を参謀に任命します。

組織は自律しないと正常に動かない

張良が完成されたひとつのシステムであるがゆえに、軍隊の規模が大きくなるとオーバーロードして機能不全を起こしたということになります。軍隊のすべての指示を張良だけが行ったために、本来、自律して活動できる将軍たちが指示待ち状態に陥ったというわけですね。

劉邦が軍隊の統制権を持つと、劉邦配下の将軍たちは、自分で判断して生き生きと行動しはじめます。たとえそれが矛盾した行動であって、ムダな動きをしたり、衝突したとしたとしても、組織としてはこちらの体制のほうが正常なわけで、機能しはじめます。

中間管理職の役割を改めて認識するような、そんな逸話だったと思い出しました。

無意識が自律的に問題の解決をするシステム

ここから話がグダグダになるのを承知で書きますが、劉邦という無能な大きな袋のような頭領の下、有能な将軍たちが生き生きと自己判断で動き回り、無用なストレスを感じさせない組織になった、というところで、課題解決と無意識の働きを連想したのです。

とある研究者や優れた思想家などは、自分が解決したい問題について、ものすごく真剣に、集中して考えます。そのあと、その考えたことを途中で「塩漬け」してしまい、一旦、自分の頭の考えのなかからその問題についての考えを置いておきます。

すると、しばらくするとインスピレーションが湧いてきて、答えやヒントが閃くことがあるというのです。

頭を使い、集中して考えていたことが、海馬の働きによって無意識のほうでも重要な課題ととらえられる。そして、無意識が、劉邦の下、生き生きと働く将軍たちのように、関連する情報を取り込んだり、整理したり、繋げたりして、答えを導き出すのではないか、ということです。

そう考えると、張良のような、有能だけど限界があるという思考システムは、やはり無意識のように自律的に24時間働くシステムよりは劣るということになるのでしょうかね。

人間の脳の構造は、本当によくできているなと感心したしだいです。

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