『芥川竜之介の追憶』を読んで感じたこと

リラックス

彼のあらゆる作を通じて、悲痛なる人間的生活が情熱の歯ぎしりをして叫んでおり、あるニヒリスティクな争闘意識が、文学の隅々まで血を吐いていることである。

引用元:萩原朔太郎「芥川竜之介の追憶」

詩人の萩原朔太郎が、芥川龍之介を偲んで書いた『芥川竜之介の追憶』に記載されている、芥川作品を評して言った言葉です。

萩原朔太郎と芥川竜之介

芥川竜之介が36歳で自殺する前には、萩原朔太郎とも交流があったようです。しかし、萩原朔太郎は、小説のことを「だらだら」して「読むからに退屈」とけなしていますので、純粋な小説家であろうとした芥川とは馬が合わなかったのではないかと思います。

芥川は、作品からも人物からも、仕事には神経質で正確さを追求する姿が想像されます。常に胃炎を患っており、睡眠薬がないと眠れなかった晩年を考えると、小説家という仕事がいかに芥川にとって苦しい稼業であったかわかるのです。実際、『闇中問答』では、自分のことを批判する形をとりながら、小説の神にすがるような裸の自分も描いているのです。

この姿勢が、根っからの詩人であり、金持ち息子の成れの果てであった萩原とは意気投合できるとは思えません。萩原は、文壇に登場する以前から自暴自棄の気があり、言いたいことを言えるくらいの家財は持っていました。小説をけなすのは、自分が小説家になれなかったからであり、鋭い詩的観点とアフォリズム、批評をよくすることだけを武器に文人として認められたからではないでしょうか。

それでも、この『芥川竜之介の追憶』では、芥川の小説は読むに値するといい、「技巧派の文人と呼ばれ、誰にも理解されずに孤独に死んだ」と、萩原朔太郎は看破しています。

この比喩は鋭いものです。萩原の言うとおり、芥川の本質は当時の読者には十分に理解されていなかったと思います。芥川の本質とは、「情熱を持った人間的文学者」であるというのは、作品からも十分に伝わってくるものです。しかし、確かにその文体といい、構成といい、見事すぎる技巧を持って書かれているので、本質までたどり着くのに時間がかかるのは理解できることです。

芥川はマルクス主義者?

ただ、違和感を感じたのは、芥川竜之介がマルクス主義やプロレタリアートに理解と同情を寄せていた、ということです。芥川が描いているのは庶民の苦労や社会運動ではないのではないでしょうか。実際に、そのようなテーマの芥川の小説は、管理人は不勉強ながら読んでいません。しいて言えば、芥川の私小説的な部分にその要素があるのかもしれませんが、そこが本質ではありません。

芥川竜之介の描きたかったものは、純粋な小説なのだと感じます。私小説や見聞記ではなく、芥川の頭のなかで完璧に構成されたストーリーが、自身が想像した以上に素晴らしいものとして小説に表現されることを目指していたのではないかと思います。

その道を目指していたならば、技巧派として緻密な小説を書こうと、格闘するしかないのです。孤独な闘いにボロボロになりながら挑み続け、疲れ果てて自殺を選ぶのなら、なんとなくですが、理解できるのです。芥川の自殺の原因が「将来に対するぼんやりした不安」という言葉で表現され、それがいつもまにかひとり歩きしています。しかし、本当の原因は「疲労」や「孤独」に集約されるのではないでしょうか。

現代なら「ストレスによる精神的失調」という言葉でくくられてしまうかもしれません。求道者は苦難の先にあるものを見据え、あえて闇の中をさまよう運命を負うのでしょうか。少なくとも、純粋なものを求めて妥協がない人格は、自らを削ることになるのは必然だと言えます。


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