ペシミストの生き方を知ることで人生が楽になるか?

メンタル

ペシミズム(厭世主義)を実践することで、人生は楽になるでしょうか?それとも余計、厳しいものになるでしょうか。

『生まれてきたことが苦しいあなたに』(大谷崇著 星海新書)を読みましたので、その感想です。

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シオランとはどんな人物か?

この本は、「ペシミストの王」、エミール・シオランの思想について解説した本です。

エミール・シオランと言われても、まるで知らない人物であったので、まずはその生涯から紹介していきます。

エミール・シオランは、1911年、ルーマニアに生まれました。生まれた当時はまだオーストリア=ハンガリー帝国領の一部だったようです。ルーマニアの首都のブカレストの大学で学びます。講義にはほとんど興味を示さず、図書館に籠って一日中、哲学書を読む生活だったといいます。下宿に暖房がなく、暖をとるために図書館に籠っていたのも一つの理由です。また、不眠が酷く、二時間ほどしか眠れなかったそうです。

その後ドイツに留学します。留学時のドイツは、第一次大戦後の混乱期でナチスが台頭してくる時期でした。ナチスの政治運動に魅了され、祖国ルーマニアにも「国民革命」が必要だと書き残しています。

しかし、その後パリに行ったところでナチズムのことにすっかり興味がなくなり、パリに住むことを望むようになります。奨学金が得られなくなると、金策のためにいちど故郷にもどり、その後またパリに戻ります。そして生涯、フランスで生活するようになりました。

思想家、著作家として活動し、『崩壊概論』がフランス文壇に認められて実質的なデビューになりました。その後、雑誌に連載を持ち、4年~5年に一度それをまとめた著作を出すというスタイルに落ち着くことになります。

ほとんど働くことはせず、おもに伴侶の女性の教師としての収入で生きていくことになります。ヒモの生活と変わりません。また、何度か自殺を試みますが、果たすことはできませんでした。晩年はアルツハイマー病を患い、その他の複合症で1995年に死亡します。84歳でした。

その著述は暗い思想に包まれ、アイロニーと逆説を多用した文体のために、ペシミストの王とも呼ばれました。その、あまりにペシミズムを含んだ文章から、かえって生きる力が湧いてくるという不思議な思想家でもあります。

ペシミストに必要なものとは?

シオランにとって、ペシミストとして生きることは、ベターな選択であってベストではありませでした。ベストなのは、「生まれてこなかったこと」です。なぜならば、生にはなんの意味もないからです。なにも意味がないことに煩わせられるよりは、この世に生まれてこないことのほうが、手間が省けていいという発想なんですね。

初めに思ったよりも、シオランの「ペシミスト」の道は険しいもののように思います。

ペシミストとして生きるのは次善の策であります。では、どのような資質が必要なのでしょうか?

労働の拒否・怠惰の礼賛

ペシミストたるもの、働くなんてもっての他です。人間は労働過剰であり、自分の自由を守るためには労働は拒否しなくてはいけません。また、怠惰であることは悪を為さないことに必要です。

少し説明すると、人々は働いたり、動いたりすることで多様な社会を形作っています。いかにもそれが普通のようですが、実は対立を生み出しているとも考えられるのです。対立をつねに生み出し続ける社会は錯乱している状態であり、この錯乱に同調しないことこそ、善の行為であると定義するならば、「何もしない」こと、つまり怠惰であることは最善の選択です。何もしないのですから、悪を為すこともない、ということですね。

シオランが怠惰を「高貴な行為」として称えるのは、以上の理由からです。

自殺は権利

自殺についても、シオランはポジティブに捉えています。なぜか。それは、自殺することは、いまの状態からいつでも逃げ出すことができるという権利なのです。そしてその権利を有することにより、自分の人生を支配している感覚を得ることができます。

また、いつでも自殺できると思うことで、残りの人生は「余生」ととらえることができるのです。余生であれば、何に使っても構わない、なんならなくてもいいという開き直りに似た余裕を持つことができます。

※ただし、管理人はこの記事で自殺を肯定するつもりはありません。自殺はキッパリと悪い行為であると言えます。人間の体はひとつの生態系であり、脳や心といった一部の器官の判断だけで、何兆もの細胞や細菌を道ずれに破滅させることはジェノサイドに他ならないと考えています。

憎悪・敵対感情

この世界は多様性が支配しており、人が動くことで何かしら対立が生じていると紹介しました。そして、この対立によって憎悪が生まれるのです。ただし、憎悪はこの世界でいきいきと生きるためには必要なものであり、相手を憎悪することで、自分も相手からも憎悪され、敵対感情がこの世の中を動かしていきます。

考えてみれば、この構造は当たりまえのように私たちに受け入れられています。自分がやることは善であり正しいことである。敵のやることは悪で間違っている、と思わなければ、何一つ成し遂げることはできないでしょう。二項対立は生きるための智恵とも言えます。

ただし、「中立である」という状態もあるにはあります。しかしこの中立を保つためには、何物にも無関心であることを許容しなければなりません。なにかを為そうとするエネルギーを無くし、衰弱した状態にならなければ中立ということは成し得ないのです。

人生はむなしい

この無常の感覚は、むしろ日本人のほうが敏感に感じ取れるのではないでしょうか。人生はむなしい。何かを成し遂げた、得られたとしても「それが何になる?」という問いを突き付けられれば、一切は徒労であることに同意せざる得ません。死ねば何もかも無に帰すということを思えば、生には何の意味もないことが分かります。

しかし、「生には何の価値もない」ことは、生きる理由にもなるから厄介です。つまり、生きることに価値がないなら、あえて死ななくても同じじゃないかと言えるからです。

なんにせよ、このむなしい人生をどのようにすればいいかを考えることのひとつの解として、シオランはペシミズムを提唱したのです。

ペシミストであることを楽しむ

ペシミストは、生を嫌っているのに生きざる得ない中途半端な存在です。そこを見つめるために、シオランはこう言います。

「毎日、自分に向かって言い聞かせる。自分は地球の表面を何十億と這いまわっている生き物の一匹にすぎないのだ。それ以上の何物でもない、と」

この言葉は、普通に生きている人においては後ろ向きすぎて受け入れられないかもしれません。しかし、仏陀も「人生は苦である」と看破しています。この世に生まれてきてしまった以上、苦とともに生きるしかないのです。

むしろ、世界の広大さにくらべれば、自分の苦痛なんてちっぽけなものだ、そんなものに悩む必要はない。と、勇気づけられるところもあるくらいです。


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