身近になってきた新型コロナウィルス

メンタル

まだまだ大丈夫と思っていたら、首相や知事の一言でかなりの人が動くことが分かりました。これは、スーパー開店前に並んでいる人たちを笑っていられなくなってきましたね。

スーパーの食品棚が空になって初めて実感

26日の夜、スーパーに行ったら、食品棚が半分くらい空になっていました。さすがにこれは、9年前の東日本大震災のときを思い出させる光景でした。生活に密着した部分に影響が出るとやっとこの深刻さが分かります。それにしても、報道やトップの言葉ってかなり影響力があるのですね。軽々と人々が動き、あっという間に品薄になる。こちらのほうが、なんか空恐ろしい気がします。

生産や物流が停滞しているわけですから、これからどんどん品薄になっていくでしょう。並ばなければモノが手に入らなくなるならば、冷静になっていられないのが人間心理なのですね。戦うべきはウィルス感染であり、品物を奪いあうような隣人であってはいけないと思います。しかし、結果的に人間は利己的な行動に出て、しかも自分を正当化して納得しようとするのでしょう。「都知事がそう言ったから」というのは、そのような正当化の模範解答のように思えます。

インフラに不具合があったとき、自己解決力が低い人ほどモンスタークレーマーになります。それしか、自分にやれることが無いからです。過去に学んだことがあっても、その場その場で行動していけば、結局は自分の利己的な範囲から出られることはない、というのが実感です。

「すぐ終わる」が裏切られるとき

新型コロナウィルスの騒動を見ていると、どんどん被害が拡大して、収縮の期間が延長されていきます。これは、第一次世界大戦の開始直後のときに、誰もが戦争はすぐに終わると思っていたことと似ています。結局、戦争は泥沼化し4年間続きました。今回のパンデミックも1年以上かかるのでは、と見込んでいる報道も出てきています。

初めは笑っていた人も、現実に直面するとそれがいかに危ないことだったか、分かってきます。世界的な不況に陥っていくしか道がないのか、試されているときなのでしょう。災害や事故と違って、どうなれば復旧したと言えるのか?どのレベルなら安全だと言えるのかを決めなければならないでしょう。可能ならば、自分で判断しなければならないはずです。

「周りの人がみなそうしている」とか「トップが言った」という理由で動くのは何とももどかしいのですが、協力が必要ならばそうすべきだし、答えがない状況でベストを尽くすには、偉い人の発言やネットの意見をどのように捉えるか、考えなくてはならないのです。

ニュースを見るべきか、見ないべきか

情報を集めることは大切です。しかし、集めたところで整理できない、その情報をもとに判断できない、そしてすべてその情報の言ったとおりに行ってしまうということが、実際に起き始めています。情報過多の世界に生きていると、避けては通れない判断力の試練です。

ならばいっそのこと、情報ソースを信頼できるところのみにしてしまって、あとは見ない、聞かないのほうがいいのではないでしょうか。そして、自分で納得しなければ動いてはいけないとは思います。頭で考え行動することを徹底しなければ、その先にはパニックや思考停止による間違った行動に陥ってしまうでしょう。

家にある物を点検しておくいい機会です。ミニマリストという人たちはこういった事態のときは、一見、弱そうです。しかし、買いだめする人たちは、自分で選択せずに情報に踊らされているのです。何もしないと決めているミニマリストたちのほうが、何もない生活に慣れていて全く動じない強さを持っている、信念があるのではないでしょうか。

追記

28日にスーパーに行ったところ、かなり品物が戻っていました。品薄も一時的だったのかなと思います。ただ、何も買えないということがすぐに起こり得ること。そして、物流の底力のようなものを見た安心感。両方が入り混じったような、不思議な感覚に襲われました。


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