『映像の世紀』、その4

リラックス

NHKスペシャル『映像の世紀』4回目は、「ヒトラーの野望~人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した~」です。

1929年の世界大恐慌から、1939年のポーランド侵攻に始まる、第二次世界大戦の幕開けまでを取り上げています。特に、ヒトラー率いるナチス・ドイツを中心に、第一次世界大戦からどのように第二次世界大戦が引き起こされたのかがテーマになっています。

世界恐慌が民族主義を生み出した

1929年10月29日、ニューヨーク株式市場で空前の株価大暴落が起こります。第一次世界大戦で始まった戦時景気から膨らんできたバブル経済が破裂した瞬間だったのです。銀行は取り付け騒ぎで連鎖倒産し、株価が暴落して破産した人々は、家を手放してバラック小屋での生活や野宿を強いられます。

中西部の農民たちは、 大戦時に穀物の大生産体制に備えて設備投資をしていましたが、穀物価格の大下落で借金を背負いこみます。そこに、ダストボウルと呼ばれる砂嵐が毎年のように農地を襲い、もはや土地を手放すしかない状況へと追い込まれていきます。オクラホマ州では30万の農民が他州に移住していきます。彼らは「オーキー」と呼ばれ、被差別の対象になりました。

大恐慌の影響は、グローバルに拡大していきます。特に、戦後の復興に遅れていたヨーロッパの国々は被害が大きかったのです。失業者が溢れ、物不足からインフレ率は指数関数的に上昇していきました。

唯一、世界恐慌の影響を受けなかったと言われる国が、ソビエト連邦でした。指導者のスターリンはその成果を誇り、数々のプロパガンダを作成して資本主義を批判したのです。しかし、共産主義だから世界恐慌の影響を受けないというのは誤りです。実際は、不満分子を逮捕して強制労働させたり、外貨を稼ぐために、本来必要な穀物を輸出に回したりという滅茶苦茶な政策で取り繕っていたにすぎません。特に、後者は1932年から33年にかけてウクライナ地方で人為的な大飢饉(ホロドモール)を引き起こし、400万人以上が餓死するという異常事態を引き起こしています。それでも、スターリン体制の恐怖政治によって人々は怯え、不満を表に出せなかったのです。

資本主義の国々では、現実の大不況にたいして何も打開的な対策を打ち立てられない政府に対して不満が募っていきます。やがて人々は民族主義を掲げた政党や政治家に惹きつけられていきます。彼らは、民族の団結を叫び、誇りを取り戻そうというスローガンを掲げて大衆を引き入れました。イタリアのムソリーニが始めたファシズムが全世界に広がっていくことになります。

イギリスやアメリカでも、反ユダヤ的なファシズム団体が台頭しています。フランスでは「火の十字団」が結成されて共産党と暴動をおこし、ドイツではナチスが勢力を伸ばしました。

日本では、民族主義と軍国主義が混在したような形で、陸軍が暴走して五・一五事件、二・二六事件を引き起こし、全体主義が国家の主導権を握ることになります。

ヒトラーの台頭

第一次世界大戦の敗戦国のドイツは、世界恐慌の影響が最も大きい国でした。ベルサイユ条約により、領土を削られ軍備を取り上げられ、1320億マルク(約100兆円)という巨額な賠償金の返済に窮していたドイツでは、国民の3分の1が失業するという、悲惨な状況になります。

生きる望みを失った人々は、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスが呼びかける民族復興、反ユダヤ主義、新しいドイツというスローガンに引き込まれていきます。家財と誇りを喪失した大衆にとって、民族主義しか頼れるものがなかったのです。ナチスは急激に影響力を膨張させ、国民の支持を得ていきます。

1933年、ヒトラーはナチスの私設軍隊である突撃隊の暴力をちらつかせながら各政党の勢力を抑えこみ、ついに首相に任命されます。ナチス政権が正式に発足し、ヒトラーは『我が闘争』に記された目的に向かって野望を燃やします。ゲルマン民族の復興のために、ユダヤ人と共産勢力を抹殺するという、恐ろしい目的がドイツに設定されてしまったのです。

首相になったヒトラーがまず始めたのは大規模な公共事業による失業者対策でした。これが成功し、600万人の失業者が50万人以下になりました。これは「ヒトラーの奇跡」と呼ばれ、この実績があったために、国民の支持が高く維持され、後年の悲劇が食い止められなかったという皮肉な結果になります。

ヒトラーはベルサイユ条約を一方的に破棄します。賠償金の返済を無視し、再軍備を開始します。近代的な軍備を整えつつ、第一次世界大戦で失った領土を取り戻すことに着手していきます。フランスに占領されていたルール工業地帯、オーストリア、チェコスロバキアのズデーテン地方を占領します。この占領では、各国首脳はヒトラーの「領土的な要求はこれが最後」という言葉に騙され、黙認します。

第二次世界大戦の幕開け

ヒトラーが『我が闘争』で掲げた野心の次のステップとして、反ユダヤ主義、ユダヤ人の排除が実行に移されていきます。

まずは、反ユダヤ主義を実現していきます。ゲルマン的ではない本を焚書します。ユダヤ人商店からの購買をボイコットするように民衆に訴え、ユダヤ人に暴行を加えていきます。1935年には、ニュルンベルク法を制定し、ユダヤ人の公民権をはく奪します。ユダヤ人公職から追放され、外出するときにソロモン十字が書かれた腕章をつけなくてはなりませんでした。秘密警察によりユダヤ人は収容所に連行されていきます。フランクルの『夜と霧』でも、夜な夜な人が消えていくという描写をされています。

ナチスが占領した国土にはゲットーが作られ、ユダヤ人はそこに追い込まれます。ゲットーでの生活は不潔で疫病が蔓延し、配給される食料も必要なカロリーの10分の1まで下げられます。毎日餓死者や病死者が出る、地獄のような光景が始まるのです。

このユダヤ人に対する迫害は、なにもドイツだけではありませんでした。東ヨーロッパ、特にポーランドとロシアにはユダヤ系移民が多く住んでいました。ソビエト―ロシアでも、ポグロムと呼ばれるユダヤ人に対する虐殺が起こっています。

ゲットーに収容されたユダヤ人は、やがて強制収容所に収監され、虐殺されるようになります。このころ、ユダヤ人をどのようにドイツから排除するかでいろいろな研究がなされています。「マダカスカル計画」もそのうちのひとつです。アフリカ南西のマダカスカル島にユダヤ人の国を作りそこへ移住させようという計画で、1938年にヒトラーにより正式に裁可されています。この計画は、有名な「進撃の巨人」というマンガの下敷きになっています。

1939年8月23日、突如として独ソ不可侵条約が締結されます。天敵である共産主義国家とファシズムが手を結んだのです。このニュースは世界中にショックを与えました。第一次世界大戦では、ロシアとの東部戦線、フランス・イギリスとの西部戦線があったため、ドイツは2方面に兵力を割く必要があったのですが、この独ソ不可侵条約により、東部戦線が不要になったのです。ヒトラーもスターリンも、この条約については一時的なものだと認識していたようですが、後の独ソ戦初期の電撃戦の成功を見ると、ヒトラーのほうが一枚上手だったようです。

独ソ不可侵条約が締結され、同年9月、ドイツはポーランドへ侵攻します。ソビエトとは、ポーランドは分割統治することが密約されていました。このポーランド侵攻は、ドイツ電撃戦の最初の成功例となります。航空機からの爆撃と、機械化部隊での突破によって、ポーランドは約1か月という短期間で降伏し占領されました。このポーランド侵攻をきっかけとして、イギリス、フランスの連合国が宣戦布告し、第二次世界大戦が幕を開けることになります。


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