季節がなくなると、社会はどう変化するのだろう

リラックス

季節の変わり目という言葉は、四季のある日本にはぴったりくる言葉です。熱帯地方などは、乾期と雨期の二つしか季節がないところもあります。ある意味、季節の変わり目は変化が激しいために、うつ症状がひどくなったりすることもありますが、概ねの人たちには好意的に受け取られるものではないでしょうか。春には春の、冬には冬の良いところがありますので。

もし季節がなくなってしまったら

季節がないということは考えにくいのですが、想像してみると、今現在の気候や温度、雨量などが固定されたものになるということでしょうか。春ならば、ずっと春。桜は毎日、どこかで咲いては散るというような、だらしない感じになります。春っぽい気圧の変化が続き、頭痛を持っている人は辛いことになるかもしれません。春野菜はずっと取れ続けるでしょうけど、夏や秋などに実るものは一切食べられないことになります。

日照時間が多い地域、少ない地域。雨量の多い地域と少ない地域など、地域によって固定された気候になるのでしょうね。そうすると、夏を体験したい人は夏の地域に行き、冬が好きな人は寒い地方に移動するという、行ったり来たりの移動の生活がぴったりくるのかもしれません。遊牧を営む人たちが、草を求めて移動するように、人間の生活が、定住から移動へと変わるでしょう。

しかし、自然現象が地域によって固定されてしまうと結局は、住みやすい地域に生物が密集するでしょうね。人間も、昆虫もその住みやすい場所を目指して、激しい競争を繰り広げるでしょう。生存競争に負ければ、住みにくい環境に移住せざるを得ず、種の絶滅につながります。必死に進化して、自分の縄張りや生存戦略を高度に保つようになるのではないでしょうか。

人間社会の変化

人間が特定の地域に密集すると、やはり競争が激しくなることと、貧富の差が非常に大きくなるのではないでしょうか。常に民族紛争のような状態になり、最終的には民族が混ざりあい、なんとか折り合いをつけてやっていこうということになります。そうして平和になると、辺境の民族が力をつけて豊かな資源を狙い、侵略戦争をしかけてくる、という歴史を繰り返しそうです。漢民族と異民族のような関係なんでしょうね。

季節がないということは、時間に対する感覚がマヒするのではないかと思います。日本の労働者のように、毎朝同じ時間に出勤して、同じ時間に退社するというような文化が育ちにくくなるでしょう。いつもいつも同じ気候、同じような時間。区切りがなく、季節ごとのイベントや商売もことごとく消え去れば、「時間とは、人生とは」と考えることをやめてしまいそうです。明日やればいい、先延ばししても締め切りもないし怒られないような、カオスな世界に突入してしまうのではないかと思います。

締め切りがないアウトプットに、質とコストを求めても無駄なことです。必死になるからこそ、物事が進むわけであり、そんな気概もない人間が生きてから死ぬまで同じことを延々と繰り返すだけでは大きなことはできないでしょうね。

暗い未来と明るい未来

季節がない、時間感覚が鈍くなり豊かな土地に必死に張り付くことだけが人生の目的になれば、それは激しい生存競争を繰り広げる修羅界と同じです。暗い未来としてはそんな退廃した世界が浮かびます。

明るい未来と考えると、これはこれでいろいろ思いつきます。気候が一定であれば、太陽熱や風力発電などの再生可能エネルギーの効率がいいのですべてそこから賄うことができます。食料供給も、すべて安定した供給量が計算できるので、飢餓はなくなります。住みやすいところに人が密集するので、高層ビル地帯が地球を一周する、もしくは土星の輪のように住みやすいコロニーをつくりつなげてすべての人間がそこに住むこともあり得ます。人類すべてが「隣人」、「運命共同体」として認識されれば、テロなどは徹底的に排除され、すくなくともルールを外れない人だけがコロニー内に残れます。誰も犠牲にしない、理想の共産主義みたいですね。

自分だけが良い思いをする、豊かになるという考え方ができなくなれば資本主義的な競争原理の意味がなくなり、あくまで群れのなかの一匹にすぎないと思うかもしれません。面白くはないでしょうし、イノベーションが起こることもなくなるでしょうが、他の地域で住めないのであれば、その地域のルールを順守するしかないでしょうから。


いつも読んでいただいてありがとうございます。クリックしていただければ励みになります。いつも皆さまがリラックスしていられるように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました