ジャズは用の美になり得たのか

ジャズ

ジャズの歴史を顧みると、たしかに実用的な音楽として機能していた時期がありました。しかし現在は、ジャズといえば音楽の1ジャンルにすぎません。ポップミュージックが主流となった音楽市場では、なかなか厳しいシェアになっています。

ジャズの実用性が「用の美」まで到達しなかったのはどうしてなのでしょうか。

用の美とはなにか

用の美とは、日本の民芸運動で生まれた言葉です。美の基準をどこに置くか。芸術品と呼ばれていたものは、その素材や細工の妙、精巧さ、希少性を持って美と呼ばれてきました。しかし、民芸運動では、日用雑貨などの普段の生活に使われているもののなかに美を求めます。民衆的工芸のことです。

民芸運動は、柳宗悦、河井勘次郎、濱田庄司らが中心となり、1926年から活動がはじまりました。日本の優れた日常用の工芸品に目を向けました。例えば、焼き物では、湯飲み茶わんや飯茶碗といった日用品のなかに使いやすい工夫や、職人の技術が生きていれば、それは美であると考えたのです。これが「用の美」と呼ばれる基準になります。

日本刀は用の美として分かりやすいのではないかと思います。もちろん、武士や侍が武力、権力などの象徴として持つことはあります。名刀は高価なものとして扱われ、手柄を立てた部下に褒美として授けたり、美術品として贈答に使われたりもしました。

しかし、本来の刀の用途は良く切れることでしょう。良質な鋼玉を叩いて伸ばして何百回も重ね、研ぎ澄まします。人体という骨と脂の塊であっても容易に切断でき、しかも弾性があり刃こぼれしない丈夫なものが、初期の名刀ではなかったかと思います。造作は多少、素朴であっても「同田貫」が名刀の内に入るのはそのような理由だと思います。

では、音楽における用の美とはなにを基準にするべきでしょうか?

実用的な音楽といえば、ワークソング、ゴスペルなど、皆と一緒に歌い作業時の一体感を出す用途のものがあります。また、軍歌やダンスミュージックも同じように実用的な音楽だと言えます。

これらが美の基準になるでしょうか。実際のところ、音楽の芸術性は、用の美とは完全に一致するとは言い難いのですが、ある用途に特化していた音楽から昇華して芸術に達するということはあり得たのです。

ジャズは用の美に近かった

ジャズの黎明期は、黒人たちのワークソングから始まったという説があります。アフリカから奴隷として連れてこられた彼らの独特のリズム感や言語が、皆が一緒の作業のタイミングを合わせるための節回しとなります。そこから、自分たちの境遇を慰めたり、白人たちを皮肉ったりするような音楽が発展し、身近な民謡というべき、ブルースという音楽が生まれました。

このブルースコードが元になり、やがてヨーロッパの室内音楽で使われる楽器の音と融合した結果、アメリカでジャズと呼ばれる音楽になります。もともとは、黒人たちの仲間内の音楽だったのですが、エンターテインメントとして徐々に白人たちに好まれるようになり、ジャズはアメリカ発祥の音楽として知られるようになります。

1910年代以前のジャズは、実用的な音楽の域を出ていないものでした。第一次世界大戦で黒人部隊がジャズをヨーロッパで演奏して有名になります。軍隊では、言葉の通じない多国籍の兵士が混在していて、唯一の共通語として音楽を通して交流していました。

戦争が終わり、戦争景気で沸いたアメリカでは新しい音楽としてジャズが逆輸入されたような形で受け入れられていきます。ラジオが発明され家庭に広がってがいったことも、ジャズの発展に拍車をかけました。ジャズは、ダンスミュージックやバーのBGMとして実用的な音楽として用いられることになります。

1940年代、アメリカは第二次世界大戦と太平洋戦争を通してまた戦争景気に沸いていました。ジャズも相変わらず実用的な音楽として人気がありましたが、一部のミュージシャンたちはその決まりきったコード進行や展開に閉塞を感じます。そして、それを打ち破るような新しいジャズを演奏し始めます。これをビバップと呼び、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、バド・パウエルなどのビバップがやがてジャズの主流になっていきます。

この革命的なビバップの発明で、ジャズが実用的な音楽から、芸術性を持った表現するための音楽へと変革していきます。経済的な理由などから、ビッグバンドが廃れていき、ジャズといえば、スモールコンボで演奏する、難解な音楽であるようなイメージになっていきます。

新しい音楽を追求

1960年代以降は、ジャズがいろいろな発展をしようと足掻いている時期と言えるでしょう。当時はロックが優勢になり、ジャズは「古い」音楽として隅に追いやられるようになります。そんな中で、ソウルやブギウギ、ファンク、ボサノバなど多様なローカルミュージックとの融合を果たそうとします。もちろん、ロックと融合したジャズ・ロックもあります。有名なのは、マイルス・ディビスの『ビッチズ・ブリュー』ですね。

70年代以降、ジャズから分派した各音楽は継続していきましたが、もとのような音楽の中心には戻れませんでした。しかし、BGMとして実用的な地位を確立したと言えるのではないでしょうか。日本の飲食店では、ジャズがかかっていることが多いです。歌詞が入らずスムースな音楽は、耳障りになりにくく都合が良かったのでしょう。

ビッグバンドは、クラシックと同じように「聴きに行く」ためのバンドとして残りました。実用性はなくなりましたが、エンターテインメントとして残っているのです。一方、スモールコンボのほうは実験を繰り返しながらも今もジャズを演奏しつづけています。バークリー音楽院はジャズの名門として有名で、世界各国からジャズマンを志す音楽学生たちがあつまってきます。しかし、「勉強」するような音楽には本来のような実用性は求められないでしょう。あくまで音楽芸術の1ジャンルとして残っているだけ、というのが現状です。

ジャズの現状を考えるとき、管理人くらいの年代の日本人は演歌と比較すると分かりやすいと思います。演歌は昔は飲み屋で歌われたり、長距離トラックの運転手やタクシードライバーという、長時間、自動車の運転をしている人たちの心の慰めになっていました。この点では実用的な音楽だったと言えます。

けれども、時代が変われば音楽の好みも変わり、いまでは昔ほどの隆盛はありません。ジャズもこのような道をたどってきたのではないかと思います。リスナーの側に選択支がたくさんあり、好みで音楽を選べる時代になったとき、ジャズも演歌も1つの選択肢になったのです。そういう意味では、大衆社会が豊かになったことと関係があるのですね。

まとめると、ジャズの源流を考えると実用性があり、その発展もあった。しかし途中からその実用性を芸術性に変化させる流れがあり、用の美を生み出すまでに至らずに廃れた。しかし現在はBGMとして実用性だけは取り戻している、ということです。

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