チンギス・カン、チンギス・カーン、チンギス・ハーン?

リラックス

日本人の間では、いまだにチンギス・カンは源義経であるという伝説が残っています。これは、まさしく「判官びいき」というものでしょう。もし大陸まで落ち延びたのが本当であっても、北方の遊牧民族間の複雑な関係を、突如現れた外部の人間が理解して統一できるというところが無理なのです。

しかし、こういった説は根強い人気があります。明治初期、西南戦争で自刃した西郷隆盛が実は生きてロシアに渡っており、ニコライ二世とともに日本に帰ってきて政治を正すという噂が残っています。昔から、日本人は都市伝説とともに生きてきたのでしょうね。

チンギス・カンの生涯

チンギス・カンに興味を持ったのはゲームメーカーのコーエーが昔々に販売していた『蒼き狼と白き牝鹿』というゲームを思い出したからでした。たしか、リニューアルバージョンでは、モンゴル統一編と、世界攻略編があったように思います。

北方遊牧民族の部族名、姓名は、日本人にとってみるとすごくわかりにくいのです。耶律楚材などの名前は覚えていますが、モンゴル部の有力な重臣で「四狗」とか「四駿」とか、日本で言えば四天王にあたるほどの有名人であっても、なかなか名前を覚えることができません。ロシア文学を読んでいるようで、同じような名前の登場人物が沢山でてくるので、誰が誰だかわからなくなり、思い入れが難しいと感じました。

チンギス・カンの本名はテムジンです。有力者だった父親が亡くなって、各部族が勢力争いをするなかで、ときには人質になりながらも苦労しながらモンゴル高原を統一します。これは、織田信長が尾張を統一するまでの過程と似てますね。

クリルタイという即位式のような部族連合の会合を開いて、モンゴル帝国の初代皇帝、チンギス・カンを名乗るようになります。三人の弟に東の領土、三人の息子に西の領土を分配し、領土の拡大戦略を開始します。騎馬の機動性と、漢民族や女真族から学んだ攻城戦方などを駆使し、またたく間に帝国の領土を広げ、世界史有数の大帝国を築き上げました。

Wikipediaを読んでいて思ったこと

とまあ、ここまではWikipediaで大体のところを理解したことです。さすがWikiさんは充実していますね。

日本では、ジンギスカンという食べ物があるせいか、ジンギス・カンという名称で呼ばれることが多いですけど、その名乗りについてはかなりの考察が必要だったようです。たしかに、世界に轟くような名前なので、各地で呼び方に揺れがあるのはしかたがないでしょう。文献に名称が載せられたところで、モンゴル、金、南宋、西夏、西遼、イラン、ロシアなどなど、各地で呼び名が一定しないのは当たり前です。文字が違うのですから。

そのこともあってか、Wikipediaのチンギス・カンの項目(日本語)では、実に全体の20%以上がその「名前」の考察に割かれています。カン、カアン、ハン、ハーンとどれが正しいのか。一般の読者は興味が惹かれず、なんでもいいやと思うところでしょうけど、研究者には重要なことなのでしょうね。

引用元:Wikipedia

モンゴル帝国の英雄として

チンギス・カンは、大モンゴル帝国の初代皇帝としてその名を轟かせ、モンゴルでは英雄、神として崇められています。日本でいうところの軍神、坂上田村麻呂、平将門、楠木正成よりも上の存在でしょう。徳川家康が権現となったのと似ているかもしれません。

しかし、第二次世界大戦後、モンゴルはソ連の衛星国として社会主義国家になっていた時期がありました。共産主義は徹底した無神論ですから、おおっぴらにチンギス・カンの墓陵を崇めることははばかられたようです。チンギス・カン批判がなされました。しかし、ソ連崩壊後はモンゴルの民主化が進み、チンギス・カンの再評価が行われます。今では英雄崇拝が復活しているようです。

過去の巨大帝国の基礎を一代で作り上げたその手腕は、やはり民族の支えになるのでしょう。その子孫であることを誇りに思えばこそ、モンゴルという国がまとまっていけるのです。他の国であっても、そのような民族的に中心たりえるものが有ると無いとでは、いざ国家的な危機が発生したときの対応がちがっってくると思います。どちらが人が沢山死ぬかという点では、良いか悪いかは状況次第でしょうけど。


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