モンゴル帝国8人の侍たち「四駿四狗」

リラックス

四駿四狗」とは、チンギス・ハーンが皇帝になったモンゴル帝国の成立の過程で、抜群の働きをした8人の重臣たちのことです。

地上最大の版図を誇ったモンゴル帝国ですから、領土を分割して親族を中心にした有力者たちに権力を譲渡します。彼らは王であり、行政官でもあります。軍事に関しては、地方軍の司令官になったのです。織田信長が編成した地方軍団の制度に似ていますが、ユーラシア大陸の広大な領土とはスケールが違います。優秀な人材がいくらいても足りないくらいの広さですからね。

基本的には軍事および個人的な戦闘力が強い重臣が「四駿四狗」と呼ばれているようです。彼らのプロフィールを簡単に紹介していきましょう。

四駿

四駿とは、皇帝チンギス・ハーンの直ぐ側にいて護衛をするという意味です。側近中の側近ということで、皇帝の信頼が厚い人物がそのように呼ばれたようです。

ムカリ

「国王」の称号をうけるほど、チンギス・ハーンからの信頼が厚かった人物です。モンゴル高原の統一に尽力し、その後は中国方面の軍事司令官になります。中国に元を打ち立てたクビライ・カーンの時代には、ムカリの子孫は有力貴族として優遇されました。

ボルチュ

チンギス・ハーンの「僚友」として、初期からの家臣。まだモンゴル高原のいち部族の長でしかなかったチンギス・ハーンと知り合い、臣従しました。その後モンゴル高原奪取の際に功績があり、外征では中央アジア、ホラズムへも同行しています。

チラウン

チンギス・ハーンがまだテムジンと呼ばれていた頃、人質として囚われていたテムジンを逃してやったのがチラウンとその父のソルカン・シラでした。父子揃ってチンギス・ハーンに千人隊の隊長として仕え、数々の戦役で活躍しましたが、若年で没しています。

ボロクル

チンギス・ハーンの母親が幼子だったボロクルを拾って育てたという伝承があります。乳兄弟ということになりますかね。数々の戦功を挙げていますが、モンゴル高原北東の民族、トマト族討伐の際に戦死したとのことです。トマト族って言われると、超B級映画「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を思い出してしまいますね。

四狗

四狗は、獰猛な犬のように戦場で真っ先に敵に向かって襲いかかるような、勇敢な戦士を指しています。

ジェベ

モンゴル部と対立していたタイチウト部の人で、敗れたあとに投降し、チンギス・ハーンに仕えるようになりました。もともとジルゴアダイという名前だったが、チンギス・ハーンの馬を矢で射ったことから「鏃(やじり)」を意味するジェベという名前で呼ばれます。遠征では、西遼、イラン、ロシアまで同行していますが、帰還の途中で病没しています。

ジェルメ

最古参の将軍で、ボルチュとともに「僚友」としてチンギス・ハーンの軍事・行政を支えました。チンギス・ハーンが毒矢を受けた際に、口で毒を吸い出して看病したといいますから、戦友のような存在だったと思われます。

スブタイ

ジェルメの弟で、兄弟揃ってチンギス・ハーンに仕えました。ジェベとともに遠征に参加し、別働隊を率いてロシアまで赴いています。その後、チンギス・ハーンの孫で、キプチャク・ハン国の創始者、バトゥと共にヨーロッパまで遠征しています。歴戦の強者だったのでしょう。

クビライ

元のクビライ・カーンとは別人。弟のクドスと共にチンギスハーンに仕え、モンゴル高原統一に尽力しました。その後は、中央アジアのカルルス(吐蕃やカシュミールの北部)の征服を成功させています。

他の動物もいたのかも

四駿四狗のプロフィールを見ると、やはりチンギスハーンがモンゴル高原を統一する前から、苦楽を共にしてきた「戦友」や「兄弟」といったような将軍たちが中心になっているようです。彼らが有能だったからこそ、あの広大な帝国を築くことができたのでしょう。

織田信長の方面軍軍団長や、ナポレオンの26元帥などに似ているところがあるようです。有能な人材は、行政も軍事もできて、かつ単独でも判断を誤らずに軍を運用できる人物なのでしょう。親族を重視したのは遊牧民という血族を重視する習慣がそうさせたのであって、もとは敵側の人物でも有能なら万人長に任命して軍を預けていますね。そうせざる得ない実情があったのかもしれませんが。

馬も犬も、遊牧民には馴染みの深い動物です。他にも、鷹とか羊とか呼ばれた人たちがいたのかもしれませんね。名誉かどうかはわかりませんけども。


いつも読んでいただいてありがとうございます。クリックしていただければ励みになります。いつも皆さまがリラックスしていられるように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました