魚の顎から座禅に至るまでの長い道のり

リラックス

Wikipediaによると、『おさかな天国』は、1991年にJF全漁連のテーマソングとして作られた曲だそうです。もう今から30年近く前の歌なのですね。

さかなを食べると頭が良くなる、というフレーズは当時流行しました。DHAを多く含むからという理由だそうですが、実際に魚を食べて頭がよくなった人を知らないので、本当だったのでしょうか?、疑問が残ります。DHAが魚に多く含まれるというならば、人間などより頭の良い魚がどこかにいるのかもしれません。

魚の顎はなぜ生まれたか

古代の魚には、頭どころか、顎すらありませんでした。無顎類という魚で、カンブリア期後期からデボン期まで栄えたので、そうとう古代の話です。紀元前5億年~3億6千万年前の間というから、1億4千万年の間、同じ形態をしていたということですね。無顎類に分類される魚は、現代ではヤツメウナギくらいしか残っていません。こいつも、進化をやめて成功した種なのです。

この無顎類がなぜ顎を持つ魚に進化したのか。無顎類の鰓弓という骨の発達のタイミングの変化が顎を持つ理由になったようです。

生物は卵が受精してから細胞が作られる過程で、幾つかの遺伝子が順序よく動いてその形態をつくります(遺伝子カスケード)。魚の顎は、鰓弓を形作る遺伝子の動くタイミングが少し後ろにずれたためによっ咽頭弓、つまり顎になったという説が有力です。

遺伝子には変化が無くとも、遺伝子の働く場所やタイミングがずれることによって形態に変化が起こることをヘテロトピーといいます。魚の顎は、環境適用によってできたというわけではなく、ヘテロトピーによって偶然できたのでしょう。その顎を使うことで、餌を摂取することが有利になったので、以後の魚にはほとんど顎があるようになったと思われます。

人間は生きている間は熱が生じる

魚が顎を持って生存に有利になったように、生命は常に進化して環境に適応し進出しようとしてきました。人間は恒温動物です。恒温か変温かという動物の区分の仕方は、昔の理科の教科書では当たり前のように書かれていましたが、今ではちょっと違います。マグロやサメは低い温度に体温を保つことができる恒温動物と言うことができますし、哺乳類でもナマケモノのようにほぼ変温動物のように生きている生き物もいるのです。哺乳類と鳥類だから恒温動物であるという説は、すでに古いのですね

恒温動物が有利な点は、やはり体温を一定に保つことができることです。体温を、体内の微生物や酵素などが活発に働くための最適な温度に保つことで、最大限の活動力を持つことができるわけです。外気温の変化に左右されにくいため、温度差のある広範囲の地域に分布することができます。生存競争に有利なのです。

体温のコントロールという点では、人間、ホモ・サピエンスは群を抜いて優秀です。身体の至るところに汗腺を発達させたおかげで効率よく汗をかくことができます。気化熱をうまくつかって体温を冷却することができるのです。そのため、人間は長距離走が抜群にうまい動物です。腐肉漁りとして生活していたヒトの祖先にとって、長距離の移動を可能にすることは、他の生き物よりも早く動物の死体を探すために有利なことでした。

座禅をしていてもエネルギーを使う

数十万年前から、狩猟採取が中心だったヒトの生活は、農耕して定住するように変化していきました。ヒトが集団で生活することで社会性を身に着けて「人間」になり、文明が発達します。食料の余剰と身分制度が、人間の生死を考えるという余裕に繋がり、宗教という心の拠り所が生成されていきます。

紀元前5世紀に、インドで釈迦が教えた原始仏教の一派が、達磨によって6世紀に中国に伝わり、禅宗という宗教が生まれます。禅宗の特徴は、生活の中心に座禅や公案という修行を据えているところです。修行僧は、その修行に命がけで取り組まなくてはなりません。広義では悟りを得るためですが、生活スタイルそのものが修行であり、仏であるという考え方も含まれています。

座禅は静かに座り、公案を工夫しながら思慮を巡らせる、あるいは無になりきろうとするため、思考することから遠ざかるような修行をします。瞑想やマインドフルネスに近いところもあります。頭の中を「今、ここ」で満たしてしてやる方法も、一種の修行であり、座禅です。

仏とはなにか。「座ればわかる」と言われるのが曹洞禅でしょう。座禅に慣れた修行者は、線香が一本、灰になる間、本当にじっと座っていることができるようになります。恒温動物である人間は、動かないでいることが苦手なはずです。高い活動能力を得たということは、常に動き回り、生活のための活動をしていなければならないはずなのですが、座禅はそのことを否定しているかのようです。

じっとしていれば徳が高くなるのなら、海イグアナやハシビロコウなどの生き物のほうが、微動だにしないスペシャリストです。その真似をする宗派などがあってもいいと思うのですが、なかなか見当たりません。実際は、活動停止しているのではなく、激しく思考を巡らせ脳をフル活動させるのが禅なのかもしれません。そう考えると、魚やイグアナは悟りを得るために必要な、大脳新皮質をもっていませんでした。


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