禅とは何か、分からないのは禅だから?

メンタル

無門関』(西村恵信、岩波文庫)を手に入れてから、事あるごとに拾い読みしています。もうかれこれ、20年以上は経っていると思いますが、これほど毎回深みにハマる本も珍しいのではないでしょうか。

安っぽい推理小説のように、一回読むと価値が薄れる本もなかにはあります。IT関係の本なんて、ほんの1,2年で環境のほうが変化していくので、あっという間に内容が古くなってしまいます。

宗教書や哲学書は、読めば読むほど滋養が得られるという類のものが多いでしょう。栄華は一瞬、文芸は長命、芸術は永遠というものですね。

仏とは何か?

『無門関』の中では「仏とは何か?」という公案が幾つかあります。究極的には、四十八則の公案はすべてがそのことを示しているのでしょう。しかし、ズバリ聞いても、ズバリの答えは返さないのが禅の師匠の腕の見せ所なのでしょうか。

「仏とは何か?」という問に、洞山和尚は「麻三斤」と答え、雲門和尚に至っては「糞の塊」と言い放ちました。これはすでに論理を飛び越しているのであって、常識に囚われているうちは、何を言っているかさえ分からないのです。

分からないというところからスタートできるから、まだ思慮を巡らせることができます。そもそも、何も問いを突き付けられないで生きていれば、何一つ考えることすらなく人生は通り過ぎてしまい、無明で終わってしまいます。これでは、輪廻の苦しみから脱することなど不可能です。

禅の公案は、問いというスタートを提供できる「救い」なのです。無門関の第一の公案、「狗に仏性はあるか」という問いを、「」を常に考え続けなければ、禅に命がけで取り組む意味はありません。無常の世に在って大自在を得るという涅槃への道の入り口を見つけるためには、生かじりの知識など、なんの意味もなさないのです。

仏を見出す行為が禅なのか

では、その仏性を見出す行為そのものが禅なのでしょうか?これはある意味正しく、ある意味正しくないのではないかと思います。不完全なのです。

誰でも修行すれば仏になれるとしたら、仏道は廃れて当然です。修行というものの定義に於いて、人によって解釈が異なってしまいます。ある人は、断食などの苦行をイメージし、ある人は自分の財産を施すことを良しと思うかもしれません。自分にとって都合のよいものを選択してしまえば、その修行なるものが正であるとは言えません。

禅の公案が、凡夫には難解な言葉で語られていることは、むしろ正しいことをそのまま表現しようとした工夫なのではないでしょうか。「麻雀放浪記」のあとがきで、阿佐田哲也が灰皿について語ったことがあります。曰く、あんたのこの眼の前にある、この灰皿を正確に表現しようとするならば、灰皿を直接描いては駄目だ。灰皿を含んだすべてのものから、灰皿以外の要素を削っていけば、おのずから正しい灰皿が姿を現す、と。

つまりはこれが真実なのでしょう。消去法で全体から部分を削ぎ落としていくことで、残りが真実となるわけです。そのためには、削ぎ落とす部分について誠実に語らなくてはなりません。「道を目指すとかえって逸れてしまう」のは、そういう理由であると理解しています。勝手にですが。

禅に魅せられた人物

削ぎ落とすことで成功したのは、やはりスティーブ・ジョブズでしょう。インドを放浪し、日本の禅に傾倒していたことは有名です。膵臓がんにかかって、余命宣告されてからは、毎朝鏡で自分の顔を見ながら自分に問いかけました「今日やることは、明日死んだとしても、本当にやる価値があることなのだろうか?」。これも「主人公」に話しかける公案のひとつのようですが、メメント・モリをブディストの立場から実践していたとも言えそうです。

そして、機能を削ぎ落とし、シンプルに徹して作られたのがiPhoneです。日本にはアップルの信者が多いですが、皆、そこまで考えて選んでいるのか、それとも日本人特有の「みんなが買っているから」なのでしょうか?ぜひ、前者であって欲しいものです。

日露戦争の勝利の立役者、児玉源太郎も禅からヒントをもらった一人です。当時の日本の国力では、超大国ロシアと戦争をするなど、考えられもしないことです。しかし、常識で考えれば回避するしかない状況にあって、死中に活路を見出したのが児玉でした。

人を救うことが仏教の教えだとすれば、児玉の選択は罪深いことです。開戦を決断したとき、地獄に墜ちる覚悟をしたのでしょう。そして、自身と兵隊とを犠牲にしても、大多数の日本の臣民を守ることを選んだのです。この苛烈さも禅の一面のような気がします。

で、結局?

凡夫である管理人には、一生かかっても禅とは何か、仏とは何かを悟ることはできそうもありません。しかし、近づく努力をすることはできます。

そのためにも、今日も明日もボロボロになった『無門関』を拾い読みし、「何を言っているのだろう」とため息をつきつつも、考えないではいられないのです。


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