棟方志功の世界、その豊かさと情熱と

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棟方志功という版画家を知っていますか?葛飾北斎や東洲斎写楽のような浮世絵のスタイルではありませんが、昭和期の日本の版画家では、一番有名な人物であると思います。その作品は国外でも高い評価をうけています。

引用元:discoverjapan-web.com

棟方志功とはどんな人物か

棟方志功は1903年に青森市の鍛冶屋の家に生まれました。15人兄弟の3番目です。大家族を抱え、知り合いの保証人になったことから莫大な借金を抱えていたこともあり、幼少のころは貧しい生活でした。

志功は子供の頃から絵が達者で、周りの子どもたちに絵を描いてやり小遣い稼ぎをしていたようです。特に「凧絵」を得意にしていました。青森のねぶた祭りを思わせる勇壮な絵柄の凧で、当時は凧絵師が肉筆で描いていましたから値段は相当張ったのです。

小学校を出て、すぐに裁判所の給仕として働きはじめましたが、そのころに見たゴッホの『向日葵』の絵に衝撃をうけ、油絵画家を志して上京することになります。しかし正式な美術教育を受けたことのない志功の絵は絵画展に出しても落選続きでした。25歳のときに『雑園』という絵でやっと帝展に入選します。そのころから、版画に興味を持ち始めます。視力の弱い志功には、写実よりも版画のほうが合っていたのかもしれません。

初期の頃は、版画家の川上澄生に影響を受けた繊細な南蛮趣味のものでした。しだいに、画風にダイナミックな要素が入りだし、出世作『大和し美し』を出展し、民藝運動を主催していた柳宗悦や河井寛次郎などに認められます。その後は精力的に版画を作成し、『釈迦十大弟子』『華狩頌』などの傑作を世に出します。1970年には文化勲章を受けるまでになりました。

1975年、72歳で死去するまで制作意欲は衰えず、数々の名作を残しています。

棟方志功の作風

引用元:eizoecrit.blogspot.com

棟方志功の作風は、ダイナミックで、生まれ育った青森の風土から強い影響を受けています。志功は「ねぶた祭り」の大ファンであり、自らも踊りに参加することを楽しみにしていました。また、民謡や昔話、仏教の世界観にも強い関心を向けていて、それを主題にして作品を作ります。

志功は版画を「板画」と呼び、まるで板の中に埋まっている仏や女人像を掘り出すかのように、ものすごいスピードで彫っていきます。極端な近視だったので、ほとんど板に顔をくっつけるようにして、ベートーヴェンの第九を口ずさみながらみるみるうちに彫っていくそのスタイルは独特でもあり、多作ぶりが分かるようです。

版画の中に詩や文章を彫り込むことも、特徴的です。『大和し美し』は佐藤一英のヤマトタケルを主題にした詩に感動したものですし、『運命頌板画柵』には、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の言葉が彫り込まれています。

民族的で異様な雰囲気の作品は、いかにも国際的な評価とミスマッチなような気がしますが、その棟方志功は版画のビェンナーレグランプリで賞をとっています。外国の方もその迫力、技術、そして作品のダイナミズムに打たれたと言っていいでしょう。

青森県棟方志功記念館

棟方志功の作品を見るには、やはり郷土の青森市に建てられた棟方志功記念館に行くことをおすすめします。常設の作品も素晴らしいものが多いですし、特別展では普段見られない作品を見ることができるのです。

棟方志功展はわりと各地で展示会が催されます。版画の特徴として、コレクターが多いのですね。しかし、安定して作品を見たいなら、大原美術館、日本民藝館などに足を運ぶのがいいかもしれません。

作風の基には、岡本太郎と同じような、縄文土器やどの日本古来文化に通じるところがあり、そのような比較をしながら見るのも興味深いです。


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