禅とは死を恐れないことではなく、平気で生きることである

メンタル

禅のことを調べていくと、自分の中のものを掘り返して、検証していくような心持ちになることがあります。管理人は、禅どころか座禅体験すらしたことがありませんので、禅のことをとやかく言うことはできませんが、少なくとも、「これは禅に似ているのではないか」くらいは思えるようにはなりました。

ただし、禅に関連する本を読んで分かった気になるのは、禅宗では最も嫌う行為です。「不立文字」という、文字に頼らず体験してこそ禅の真意に到達できる、ということが禅のそもそもの前提にあります。勉強して頭でっかちになったところで、禅に飛び込むむことはできない、ということでしょうか。

禅の覚悟

日本における禅宗の始まりは、鎌倉時代初期に遡ります。日本臨済宗の祖は栄西、曹洞宗は道元です。臨済宗は座禅と公案を用いて悟りに導くという形が多く、京都に五山があるように、宗派による総本山が幾つかあります。

一方、曹洞宗はとにかく座禅をすることで悟りを得ようという趣旨です。もちろん、生活の規範そのものが修行であるのですが、座禅を中心としてひたすら心のなかの禅機を探求するということが中心になります。総本山は永平寺と総持寺の2寺だけです。特に永平寺は、越前(福井県)の山中にあり、世間と隔絶し、ひたすら三昧に明け暮れる修行に適した道場となっています。

禅宗が、その頃台頭してきた武士階級に受け入れられたのは、「今、ここ」の考え方が、戦場にでればいつ誰が死んでもおかしくない武士の生き方とマッチしていたから、というのが定説です。しかしそれだけではないような気がします。武士とはいえ、平時は農民と同じように畑を耕し、質素な生活をしていたのです。多少の荒事には強くてもは、疫病や飢えには敵いません。「今、ここ」というのは、刹那に生きる人間共通の課題であったと思えます。

尾崎放哉の生き方

尾崎放哉は、明治から大正にかけて生きた自由律俳句の俳人です。「咳をしてもひとり」は有名な句であり、孤独の寂しさと自由の境地の表裏が表された一句です。しかし、放哉は実生活では非常に厄介な人物でもありました。

元は帝国大学出のエリートで、保険会社の上海支店の支配人として出世街道を突き進んでいました。それが、あるとき信頼していた部下に裏切られたことにより出世の道から外れていきます。そこからやけっぱちになり、酒を飲んでは暴れるという子供のようなことを繰り返し、会社をクビになります。世間に背を向け、出家しようとして各地の寺に転がり込みますが、エリートだった時分と、現在の惨めな生活のギャップから抜け出すことはできませんでした。

その放哉が言うには「悟りとは平気で死ぬことだと誤解していたが、実は平気で生きること」なのです。生きるためには、飯の時間は仲間通しでおかずを奪い合い、病気と偽っては友人知人に借金を無心する手紙を書く。結局、生きることは戦いであり、寺にあっても会社や競争社会の縮図であることを思い知ります。そうした中、結核でこの世を去るのです。

市井に於いて禅の境地に居る

修行道場であっても寺であっても、所詮は世間から切り離された場所ではないとするならば、一体、心の平穏、涅槃の境地とはどうやったら得られるのでしょうか。

禅の悟りを得る境地を段階ごとに示した「十牛図」という有名な図版があります。牛とは、自分自身のこと、本来の面目を表しています。その十牛図の最後の図は「入鄽垂手」、市井にあって悟りの境地のまま生きること、が究極の目的です。

「平気で生きる」を実践するには並大抵のことではありませんが、誰にでもすぐできることでもあります。日々の生活の質を上げ、我欲をなくし、自由自在に生きる。そんなことが本当に達成できるのなら、ここに在るだけで仏といえるのかもしれません。

生活の質を上げるためには、日々の掃除や日常の作法などをおのずからやり続ける必要があります。特に清掃や洗濯は、心も一緒に洗う行為です。

ダニだらけの寝具や衣服を着ていては、ひとり静かに座禅をしていても痒くなり、心を豊かにする余裕を失ってしまうかもしれません。そうなる前に、ダニには悪いけど、居なくなってもらうことが必要になるでしょう。

こちらの「さよならダニー」は、そういう用途にはとても向いているのではないでしょうか。清潔を保つことが生き方を豊かにするならば、決して無駄なものではないのですから。

置いて!集めて!捨てるだけ!【さよならダニー】

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