父親の命日に思う「心のなかで生きる」の意味

メンタル

命日に墓の前に行って花や線香を供える、なんてことを自分自身がやることになるとは思わなかったですね。死んだら終わり。墓も不要で、供養とかはあまり積極的にやっても意味がないんじゃないかとずっと考えてきました。

そもそも、宗教心が無いので、死後の世界とか霊とかは信じていないのです。子供の頃はそういうテレビ番組をよく見ていたし、地獄や守護霊や悪霊なんかの存在を信じていましたが、さすがに大人になってからは、とは思います。けれども、信じる信じないの話ではないのですね。

死別して5年が経って

管理人の父親が亡くなって5年が経ちました。一番質素な葬儀をして、家族だけで見送りました。相続の問題とかもそれほどなく、すべてはスピーディーに片付いたと考えていました。

しかし、その後じわじわと「父親がもう生きていないのだな」ということが実感できてくるようになりました。振り返って考えることで、生きているときよりも死んでからのほうが、思うところが出てきます。「もっと話を聞きたかったな」というのが一番の想いです。父親はそういうことを話したがったのだと思うけど、照れくさいし、腹を割って話すようなことは、大人になってからはできなくなっていたと反省しています。

父親がどんな人間だったのか。どんなふうに育って、大人になったのか。家庭と仕事と両方の顔はどんなだったのだろう。などと考えていくと、もっと知っておけばよかったと思います。自分のルーツを確認する上でも、そういうことは重要なのに、しなかったのは後悔先立たずです。死人とはもう話すこともできない。それだけは事実でしょう。

もっとも、父親は子供の自分に十分すぎるほど愛情を注いでくれました。平凡で、パっとしない親不孝のまま現在に至りますが、それでも父親に育てられ、期待されてもらったということには、今となっては感謝することしかできません。そういう感情を言葉でもっと伝えたかったなと感じます。

なんとなく理解ができるようになった

社会人になってもう長いので、父親がどのような社会人の側面を持っていたのかは、ある程度は推測できるようになりました。家庭を大切にする人で、機転は効くし、愛想もよく、それなりに会社人としての表の顔ももっていたのでしょう。しかし、気が小さいところや、億劫で趣味が少ないところ、手先は器用だったけど、生き方が不器用だったのかもしれません。ストレスを発散させる手段がなく、結局アルコールで逃げていたことが命を縮めることになりました。

最期は病気の巣みたいな感じで、内蔵が悪くなり糖尿病にもなっていました。入退院を繰り返し、そのたびに不機嫌になり籠りがちになっていきました。脳内出血で、あまり苦しまずに逝ったのは幸いだったのかもしれません。

うつ症状をもっている管理人は、アルコールを飲まないようにはしていますが、それは父親の様子を見ていた反動もあります。適量のアルコールは構わないとは思いますが、何事も過ごしすぎると手がつけられないほどの依存症になってしまいます。抗うつ剤などを飲んでいる今、そういうところは自分自身で気をつけないと、誰も注意してくれない、飲む薬ばかり増えていくという負の方向に向かっていくということに、改めて気づかさせてくれました。

「今、ここ」以外にも時間はある

父親の墓は実家から近いお寺にあるので、たまに一人で寄ることがあります。墓守ではないので、墓に行ったところで別に何もしないのですが、やはり墓の様子は気にはなるのでしょうね。

母親が今日、墓の前で喋った言葉があります。「死者は2度死ぬ。誰かが覚えていれば心のなかで生きているが、その誰かが死んだり、忘れたときに、もう一度死ぬ」。

目新しい主張ではないのですが、案外、そんなものかもなと思ったのは、自分も齢をとったということでしょう。管理人が好む禅の教えは「今、ここ」を重視しますが、それだけではないのかもしれません。心理学者のフランクルは、『夜と霧』の中で、「過去の思い出は自分だけのものだ」と主張しています。全くそのとおりで、思い出は誰にも譲り渡すことがない、自分だけの宝でもあります。その過去を良いものと思うか、悪いものにするかも自分次第です。

父親の思い出は自分だけのものであるならば、それを振り返る間は、父親は心の中では生きているのと同じなのかもしれません。ぽつりぽつりとですが、年齢を重ねると、そいういうことが分かるようになるのです。


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