ナポレオン26元帥のなかでも特に有能だった7人を紹介

リラックス

ナポレオン・ボナパルトは、革命時のフランスの混乱から台頭し、最終的にフランス皇帝にまで上り詰めた英雄です。いまでも、ヨーロッパではナポレオンの名前が盛んに使われます。

軍事の天才であり、政略と外交をうまく操りヨーロッパの大部分に外征を行いました。また、ナポレオン法典や、『エジプト史』などの書物に残るような、文化的な貢献もしています。

最期はセント・ヘレナ島に流刑になり、孤独のうちに死にますが、一代で大帝国を築き上げたその手腕、英雄的行為は近代では並ぶもののない偉大な足跡を残したといえるでしょう。

ナポレオンとその元帥達

ナポレオンは、最初は一介の砲兵少尉として軍人のキャリアを開始します。砲兵というのは、花形の兵科ではありませんでした。当時はまだ騎兵による突撃が名誉ある戦闘であるという雰囲気が残っていました。

しかし、砲兵というのは近代の陸軍では重要な兵科です。砲兵がまず砲撃を浴びせ、歩兵が突撃し、騎兵が蹂躙するというのが基本的な戦闘の方法であったからです。機関銃が現れるまでは、大砲が最も効果が高い兵器でした。

ナポレオンの優れた戦術は、兵力の集中でした。分散している相手に対して、機動力を使って各個撃破するというのがナポレオン流です。それを実現するためには、自分自身で状況を判断でき、軍隊を動かせる能力を持つ指揮官達が不可欠です。ナポレオンは自分の手足となる軍隊の指揮官を、おもに兵隊たちのなかから拾い上げて抜擢していきました。貴族からなる従来の軍隊には、そのような有能な人材が少なかったからとも言えます。

有名な元帥達

ナポレオンがいろいろなところから人材を集めたために、多種多様な元帥達がいます。有名なところを7人紹介したいと思います。

マッセナ

ナポレオンが回顧録のなかで「最も優れた元帥」として名を上げるのが、マッセナです。戦場では戦略的な視点まで持ち合わせていて、マッセナの率いる方面の軍隊では、惨敗することがほとんどありませんでした。ポルトガル戦役に参加し、リヴォリ公爵の地位をもらいます。人物的には、非常に貪欲で手癖の悪い人物として有名で、略奪した財宝を蓄えるような癖があったようです。

ダブー

数いる元帥達のなかでも評価の高いダブーです。自分がどのような役割を果たさなければならないかを熟知していて、例え難戦であっても退却出来ない場合はその場で耐え抜きました。機動戦でも有能で、ナポレオンの信頼も高かったのです。しかし、厳格でときには冷酷すぎる性格は、他の元帥たちには煙たがられました。苦難を共にする兵には人気があったようです。

ベルティエ

ナポレオンの参謀のような役割を果たしていたのがベルティエです。実際は、ナポレオンは参謀を必要とせず自分自身で作戦を立てる能力に長けていましたが、その作戦実行のために元帥たちに伝令を飛ばし、思い通りに動かすにはナポレオン一人ではとうてい手が足りなかったのです。そのリンクマンの役目を忠実に果たしていた、有能な事務屋というのがいまではベルティエの評価となっているようです。

ミュラ

ナポレオンの初期の頃から寄り添い、非常に派手で美男だった元帥です。政務や作戦能力などでは劣りますが、騎兵として突撃させたらミュラほど強い指揮官は他にはいませんでした。ミュラはナポレオンの妹のカロリーヌと結婚し、義弟となります。ナポリ王にまで出世させてもらいましたが、保身のためにナポレオンからは離れ、その後転落していきました。外見の良さに中身がついていかなかったようです。

オージュロー

革命軍時代からの叩き上げの戦闘指揮官で、戦場では数々の活躍をしています。ナポレオンに従って転戦し、軍功を挙げています。しかし彼の性格は貪欲で野心家。そして、日和見主義であったことから、凋落してしまいます。後期になるといままでの覇気も失い、失意のまま死亡しました。その時々で仕える君主を変えるのは、混乱期の軍人としては普通のことだったかもしれませんが、あまりに品がなかったとも言えるでしょうか。

ランヌ

「我らがランヌ」と兵から慕われた、とても人気のある元帥です。ナポレオンとは盟友と言っても良い仲で、ナポレオンを「君」と呼ぶことも許されていました。その性格は勇猛無比。常に最前線にでて果敢に戦うことを誇りにしていた、男のなかの男という感じです。正直、戦術や政略面では評価されることは少ないですが、兵達に愛されるということ自体が彼の武器だったのでしょう。オーストリア軍との交戦中に砲弾で右足を切断する傷を負い、それがもとで死亡しました。

ネイ

ネイもランヌに劣らぬ勇猛果敢な元帥として有名です。粘り強さが身上で、退却戦にもめっぽう強く、ロシア遠征のときの軍功として「モスクワ大公」の称号をもらっています。誠実で人当たりのいい性格でしたが、あまりに自分の強さに自信をもっていたために自分の軍を無駄に消耗させることも多かったのです。ナポレオンの百日天下に加担し、ワーテルローの戦いのあと捕らえられ、銃殺されています。

スーシェ

あまりに個性的な元帥が多いために目立ちませんが、スーシェはナポレオンの元帥の中でも抜群の戦略眼をもった元帥でした。実際、彼が担当した方面の軍隊は負け知らずであり、またアラゴン地方の治世に成功したように、軍政家としても非常に有能でした。ワーテルローの戦いではナポレオン軍に参加していますが、もしスーシェがスールトの代わりに参謀役をしていたら、歴史は変わっていたかもしれないと言わしめました。

まとめ

ナポレオンがセントヘレナ島で回顧録を口述筆記していたときに、彼の配下だった元帥たちについて評価をしています。その評価は的確である場合もありますが、どちらかというと愚痴のほうが多いようです。まあ、失脚してしまった権力者の立場なのですから仕方がないかもしれませんね。


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