俯いてばかりいずに、顔を上げて先を見る

メンタル

2020年春の新型コロナウイルスの流行で、普通の生活というものが急速に変わりました。本当は、もう少しゆっくり変化していくはずだったのでしょうけど、予定が先送りになったと言ってもいいでしょう。

クラスター、ロックダウン、ソーシャルディスタンス、東京アラートなど、新しい単語が飛び交い、マスクが手に入らなくなり高騰する。東京オリンピックは延期になる。景気は底に落ち、人々は新しい仕事や生活を、いやでも受け入れなくてはならなくなりました。

気分が落ち込むと億劫になる

そんなバタバタしているうちに、季節は春から夏に変わりました。しんどい生活を受け入れつつあるときに、季節が目まぐるしく変わっていく。なかなか落ち着かせてくれません。こういうときは、神経に障るのです。

自分のうつ症状は、夏場から秋にかけてが一番ひどいですが、今年はもうすでに、うつ症状になりつつあるような気がします。よく眠れず、朝早く起きてもぼーっとして、何もする気力が出ません。涼しいときは早朝の散歩などもしていたのですが、今は、なんとなく出かけるのが億劫なのです。

この「億劫」という言葉が、いまの自分にぴったり来ますね。何もする気になれないときは、本当に身体が動きません。皮肉なことですが、心と身体は一つなのだなと感心するくらいです。初動をなんとかしてしまえば、後は勢いにまかせて動けるのですが、その壁を乗り越えるのが、季節の変わり目とともに難しくなってきているような気がします。

自ら怠け者と名乗っているくらいなので、動かないのは丁度いいのです。しかし、生活リズムが急速に変わってしまった現在の世間に合わせるには、「うごけません」という言い訳など通用しない、厳しい経済状況がやって来ているのです。こういうときに生活力というものが試されるのではないでしょうか。自分の祖父母たちがもっていた、戦後の生き抜く力のようなものです。

『少しだけ、無理をして生きる』

城山三郎さんの本に『少しだけ、無理をして生きる』という随筆があります。城山さんは、代表作に『落日燃ゆ』や『男子の本懐』がある、歴史小説や経済小説の作家です。この本のタイトル、少しだけ無理をして、というところが、うつ症状の出始めているときには勇気をくれる言葉になります。この本を手元において、落ち込んでいるときは眺めるように読んでいます。

初めの一歩は誰でもつらい。だから、少しだけでいいから、無理をしてみる。すると道が拓けるというような意味でとっています。気鬱なときは身体を動かすことさえ嫌になるのですが、ちょっとでも寝床から立ち上がってみれば、なんてことはないのです。分かっているのに、それがなかなか出来ないのはまだ、本当の意味で「少しだけ無理をする」が身体に染み込んでいないのだと思うようにしています。

生活のリズムが出来ていれば、そのようなことに悩むことは無いのです。禅宗の道場で、ご飯の食べ方や、掃除の仕方、寝る姿勢まですべて細かく決まっているのは、それが億劫にならずに、修行に集中できるような工夫だと言います。少しだけ無理をするというのに慣れれば、またその先の無理ができるようになるでしょう。少しづつ向上心を持たないと、いつまでも俯いたままで人生が終わってしまう気がします。

先を見ることで足が前に出る

顔を上げてみれば、問題は山積みであっても先が見えるでしょう。足元を固めることも大切ですけど、そればかりに気をとられていては希望など持てません。あの問題、この壁をやっと乗り越えて、わずかに先に進めるイメージです。そこに冒険心がなければ、楽しめないことなのかもしれません。

一歩踏み出せば大丈夫かというと、なかなかそれだけで、うまくいくものでも無いと感じます。歩いていた足が途中で止まってしまうかもしれない。一度止まったら、動き出すまでまた時間がかかるかもしれません。何度もなんども心の支えを杖代わりにして、ちょっと前に歩いていく決断をしなくてはならないのです。

こういうときは、「少しだけ、無理をする」と心の中で唱えながら落ち着いて考えてみます。自分を客観視、俯瞰してみると、なんと小さなところでつまづいているのか。笑えます。笑えたらしめたもので、足取りも軽くまた前に進めるようになるのです。


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