長く一緒に暮らしていても、分からないことなど沢山ある

メンタル

コミュ力とかコミュ症などという言葉があります。コミュニケーションについては、日本人あるいは全ての現代人が苦手とする大きな問題です。本屋に行けば、コミュニケーションについての本が、掃いて捨てるほど置いてあります。

同じ方向を向いている、同じ目的に向かって進んでいるというのは、やはり幻想なのでしょう。あるときは、家族であってもまるで他人のように思えるような行動・思考をしていることがあるのですから。

家族という幻想

家族や親族という、一緒に長く暮らしている人たちことをどれくらい理解しているのかというと、甚だ心もとないものであります。自分自身でも、不可解な行動や考えを持っているときがあるのに、他人の思考というものまで、理解できるはずがありません。

もちろん、長く観察していると一定のパターンが見えてくるようなことがあるでしょう。それはギャンブルや株をやっている人達がそう思えることがあるように、家族という他人の思考が、自分には分かると誤解してしまう場合なのだと思います。

「個人が次に何をするか予測することは不可能だが、人間の集団がどのように行動するかを予測することは容易い」とシャーロック・ホームズが言っていたような気がします。家族という集団はある程度予測はできても、個人の気持ちや思考まで理解できるとは限らないのです。

虚しさを感じるとき

良かれと思ってやったことが、否定されることがあります。これは、家族の中では結構頻繁に発生するのではないでしょうか。例えば、何かが汚れていた時に気を利かせて掃除しておきます。すると、家族からは「なんでそんなことをするの」と、不満を言われたりします。これをやられると、本当に虚しさを感じますね。

これはコミュニケーションがうまく行かないことに問題があります。英語の文化では、自分の思考、行動、すべてを言葉に出して、相手に伝えることがコミュニケーションです。そこには、空気を読むとか、察して欲しいというような暗喩的なコミュニケーションは、高度であいまいなので、あまり使わないという割り切りのようなものがあります。

世界共通語としての英語は、そのくらいはっきりと表現しなくては、伝わりません。契約や確認が重視されるのは、いろいろな国の人が同じレベルで意思疎通できなくてはならないからです。

家族のなかであっても、本来のコミュニケーションの定義に立ち戻って考えるべきなのかもしれません。通じないからといって、相手や自分がアスペルガー症候群ではないかとか、サイコパスなどの心理学的な側面から考える必要はあまりありません。単にコミュニケーション不足と考えれば済む話なのですから。

折り合いをつけることの重要さ

日本人は交渉力が低いのではないかと良く言われます。大切なところで引いてしまったり、粘る相手と交渉する労力がもったいなくて条件を飲んでしまうなどの弱点があるのではないでしょうか。お人好しとも言いますが、交渉に失敗すれば大損害を被ることだってあるのです。相手の言っていることがよく分からないから、聞き返すのは失礼だと思ってしまうこと自体が、すでに交渉に負けています。

どうしても飲みたくない条件の場合には、交渉にはコストを掛けるべきです。途中で馬鹿にされているかもしれないと思っても、納得するまでは何度でも確認することが必要でしょう。交渉相手はそれに応じる義務があるのですから。

これをあいまいのままにしてしまうと、お互いに都合の良いように受け取ってしまい、結果的には面倒なことになります。仕事をしている方は、このような場面はよくあるのではないでしょうか。家族であっても同じです。交渉相手なのです。

長いあいだ一緒に生活しているのだから相手が分かってくれるという幻想は捨ててしまい、コミュニケーションを面倒がらずに実施しましょう。そのほうが、きっと良い結果になるはずです。


いつも読んでいただいてありがとうございます。クリックしていただければ励みになります。いつも皆さまがリラックスしていられるように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました