ビニール傘を取り間違いられてしまった場合、正解の行動とはなにか

リラックス

先日、管理人がとある中華屋に入って夕食を食べたとき、入り口の傘立てにビニール傘を入れておいたものを取り替えられてしまいました。それなりに、目印になるようにマーカーで色を塗っておいたりしたのですけど、出るときには違うビニール傘しか残っていませんでした。

ビニール傘など、安いもので300円くらいで買えます。それくらいのものであれば、愛着を持つほどの価格・品質ではないのでしょう。しかし、引っかかるものがありますので、こうしてブログで検証していきたいのです。

たかがビニール傘、されど…

司馬遼太郎の小説『覇王の家』で、小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀次が敗戦して戦場から逃げようとした際に、自分の馬がいなくなっていたので走って逃げるシーンがあります。その横を、見方の勇将・可児吉長が馬に乗ってゆうゆうと追い越して退却していくので、秀次がたまらず、可児に「その馬をよこせ」と叫びます。可児は「雨の日の傘でござる」と言い放ち、そのまま逃走します。

雨の日の傘は、人に貸してしまうと自分が濡れることになる。敗退のときに、馬を貸せば自分の命が危うくなります。そんな重要な場面では、自分よりも立場が上の人の言とはいえども、もちろん手放すことが出来ないわけですね。

たかがビニール傘とはいえ、雨が降っているならば、濡れないためには、取り替えられた残りのほうを持って行くしか無いわけです。腑に落ちませんが、しかたがない行動なのではないでしょうか。

性悪説と機会論

店の入口にそもそも、同じようなビニール傘を置いたのが失敗であるのは、十分承知しています。しかし、店の中に傘を持ち込めば、店が濡れるのだからと思い、また、マーキングしているのだから平気であろうと思い、傘を傘立てに置いたわけです。それが裏目にでたのでちょっと頭に来ました。

機会論という言葉は、犯罪心理学などで使われるそうです。なにかのタイミングで、誰も見ていないし、自分が特定されることはないという絶好の機会が来たとき、思わずに犯罪行為をしてしまうのです。ビニール傘くらい、と思えば、そのハードルもそうとう低くなるのでしょうね。特定されても、間違えたという言い訳ができるので。

機会がくれば、みな犯罪行為を平気で行うのか、というのは間違いでしょう。そんな人ばかりでは、現代の社会が成り立ちません。大多数は、ルールというものを遵守する派閥の人なのです。だから、スーパーマーケットでは客に商品を自由に触らせるし、ガチガチに警備する費用も抑えることができるのです。

韓非子は法家の人で、人の性の根源は悪であると考えました。従って、ルール、法で縛ってこそ人間社会を維持することができると考えたのです。法律で守られている現在の日本では、その方針に乗りつつも、人々の「性善」の部分に期待しているのでしょう。中国は、その道徳の部分に監視システムとスコアを導入し、人々にルールを守らせる方向に舵を切りそうです。テクノロジーの発達した大陸らしい割り切り方ではないでしょうか。

盗られたときの大人の対応とはどのようなものか

ある程度道徳を尊重する日本の社会では、ビニール傘を盗られたときにどのような反応をすれば、大人であると言えるでしょうか?

まずは、大声で怒りを表さないことでしょうね。命に関わるようなことではないので、とっさに行動を起こす必要はありません。従って、まずは冷静に事態を受け止める余裕が必要でしょう。

その後、自分がどうするべきか考えてみることになります。ひとつは、残っている傘を持っていくことです。たとえそれがまた違った人の傘であっても。自分が被害を受けたのだから、他の人に被害を廻しても許されるだろいうという、よくわからない論法になります。盗られた傘がさして大事でもななければ、傘は持っていかずに諦めるのも一つの選択です。道徳的には、このほうがスマートでしょう。

しかし、雨が降って切羽詰まっている場合は、傘がないのは致命的です。やはり誰かの傘を盗んでいくしかないのかもしれません。分別のある大人としては心が痛むか、それとも清濁併せ呑んでこその大人と開き直るのか。それはその人次第なのでしょうね。

雨の日はなにかと気が滅入るときでもあります。大人であると自覚する人ならば、せめて他人に迷惑を掛けないようにしたいものです。働き盛りの男性で、汗のニオイが気になるかたは、こちらのスキンケアを試してみたらいかがでしょうか。

【マージェンス】でオトコのニオイケア

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