『映像の世紀』、その7

リラックス

NHKスペシャル『映像の世紀』の第7集は、「勝者の世界分割」です。第二次世界大戦で勝利した連合国側が、敗戦国をどのように処置するかを決めた経緯が描かれています。焦点となるのは、ソ連という共産主義への対抗意識がどのように世界に摩擦、亀裂を生じさせていったかということです。

同じ連合国側に立って戦ったというだけでは、お互いに理解しあえるはずもありません。国家は、利害関係で動くのです。その結果、民族の分断や難民という問題が数多く生み出されることになります。

ヤルタ会談での密約・対立・取引き

1945年2月4日から11日にかけて、イギリス、アメリカ、ソ連の代表が、戦後の世界の処置についての話し合いを行います。クリミア半島ヤルタの近くにある、リヴァディア離宮に、イギリス首相チャーチル、アメリカ大統領ルーズベルト、ソビエト最高指導者スターリンが集まります。この顔ぶれを見ただけでもすごい会議であることが分かります。

チャーチルは反共主義者であり、スターリンを警戒していました。一方、スターリンも、チャーチルを「信用ならない奴」として対峙します。ルーズベルトはソ連を寛大に扱い、アメリカに有利な条件を引き出そうとしました。それぞれの思惑が重なり、戦争に巻き込まれた国々の運命が定まっていきます。

ドイツは解体されイギリス、フランス、アメリカ、ソ連の分割統治に決まります。首都ベルリンも資本主義陣営と共産主義に分けられました。後に、東西の対立が高まっていくと、ソ連によるベルリン封鎖、それに対抗する大空輸作戦などの摩擦が生じ始めます。最終的に、1949年5月にドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が独立し、ドイツは完全に東西に別れました。鉄のカーテンが消滅し、ドイツが東西統一されるのは、1990年になります。

ポーランドについては、ソ連が強硬な姿勢を取ります。イギリスにあったポーランド亡命政府を一切認めず、ワルシャワの国内軍をわざと自滅するように仕向けました。結局はソ連が支持するルブリン政権が戦後の政治の中心に据えられ、ポーランドは共産圏の衛星国となります。

バルカン半島では、なんとしてもイギリスの権益を護りたいチャーチルが、事前にスターリンと取引をしていました。インドにつながる地中海航路の重要拠点であるギリシャを確保し、他のバルカン諸国の多くはソ連に譲るようになります。この結果、東ヨーロッパの多くの国は、共産圏に属するようになりました。

極東での密約は、アメリカとソ連の間で取り交わされます。日本の息の根を止めるためソ連の参戦を望んでいたルーズベルトは、南樺太と千島列島、満州の権益をソ連に譲渡することに合意しました。その後、スターリンは北海道をソ連とアメリカの共同統治にすることを打診しましたが、ルーズベルトはそのとき既に病気で死亡しており、新たに大統領となったトルーマンは、この提案を拒否します。日本は、アメリカ一国による、占領地域となったのです。

台湾は中国へ返還されることが確認されました。問題となったのは朝鮮半島です。終戦後は独立を約束しますが、しばらくはアメリカとソ連の共同統治と決まりました。その結果、38度線で両陣営に民族が分裂することになります。

このように、大国の理論により各国の運命が決まっていきました。ヤルタ会談とはその後の民族独立問題、東西冷戦などを引き起こす切っ掛けとなったと言えるでしょう。

第二次世界大戦の終戦と東西分裂

1945年5月7日、ドイツが降伏して、ヨーロッパにおける戦争は終結を迎えました。喜び合う人々の陰で、ヤルタ会談の結果で決まったことが、早くも各国々に影響を与え始めます。

ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアはソ連が親共産政権を打ち立てて、衛星国にします。この強引な政治体制の押し付けは、後に、ハンガリーでの民主運動「プラハの春」や、ルーマニアの悲惨な独裁政権、そしてユーゴスラビア解体での紛争など、多くの人命が失われる原因になったと言えます。

ポーランドに至っては、領土の東部分をソ連に割譲するために、国家全体を西に移動するという、過酷な結果が待ち受けていました。このような運命は、常に東西の大国の間にあって紛争に巻き込まれてきた国家の宿命とも言えるのです。

1945年7月26日、日本に無条件降伏を要求するポツダム会談が開催されます。日本はすでに敗色濃厚となっていましたが、硫黄島の戦いや沖縄戦などで、アメリカにも流血を強いていました。トルーマン大統領は、ポツダム会談に出席している間、アメリカが原子爆弾の開発に成功した知らせをうけます。必ずしも、日本を降伏させるためにソ連の参戦を必要としなくなったのです。8月6日と9日、広島・長崎に原爆が投下され、日本はポツダム宣言を受け入れました。ソ連も9日に参戦して、満州になだれ込んでいます。その結果、捕虜となった日本人兵士は57万人、600万人の民間人が中国に取り残されました。

朝鮮半島は、日本からの解放された喜びもつかの間のうちに、北から侵攻してきたソ連軍と、南からのアメリカ軍に駐屯され、暫定的に38度線で信託統治されることになります。

引き裂かれた国家、民族

戦場にならなかったアメリカは、戦後に爆発的な発展をとげて、黄金時代を迎えます。一方、ヨーロッパは荒廃し、それぞれの国家は戦後の処理に苦しんでいました。敗戦国ドイツでは1千万人が難民となり、そのうち130万人は死亡したと言われています。

ヤルタ会談の結果、共産圏が拡大したことを憂いたチャーチルは、「鉄のカーテン」演説を行い、スターリンを批判します。スターリンもまた、チャーチルを「戦争屋」と呼び、徐々に亀裂が深まっていきます。東西の対立が最も強く現れたのは、ドイツの首都ベルリンでした。プロパガンダ合戦が行われたあと、壁で分断され、最終的には東西ドイツが誕生することになりました。

反共主義は、アメリカでも「赤狩り」という形で吹き荒れます。アルジャー・ヒスという政府高官が実はソ連のスパイであることが暴かれ、マッカーシーを中心とした反共主義者は、ハリウッドなどを中心に共産主義者を逮捕していきます。このあたり、第一次世界大戦後のアメリカの様子とそっくりです。

1949年には、ソ連が初の原爆実験に成功し、核の一方的な優位性が崩れたことから、アメリカの反共産主義勢力は一段と強化されます。「自由十字軍」という計画もその一つです。共産圏に住む人々に向けて、資本主義の自由さや優位性を呼びかけるプロパガンダ放送を流すという、いま冷静に考えるとおかしな計画ですが、当時は真剣に検討され、資金を集めるために、あのロナルド・レーガンがCMをしていた程です。

1950年に朝鮮戦争が勃発し、朝鮮民族は完全に分断されます。朝鮮半島の状況は70年経ったいまでも続いています。沖縄を除く日本が同じような状況にならなかったのも、単に当時のアメリカの都合によるものなのです。ロシアとの関係では、北方領土問題はまだ解決していませんが、それだけで済んだというのが、実際なのではないかと思います。


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