七五調ペルシア

リラックス

マンガで読んだアルスラーン。ペルシアの国モデルにし、名称などを借りている。そんなペルシアよく知らず、Wikipedia見て調べてた。今はイランと名乗ってる、イスラム教の国家だが、651年に、イスラム教になるまでは、ペルシア帝国だったのだ。

ペルシア帝国だった頃、主な王朝3つある。その歴史など簡単に、追いかけながら書いていく。ただし詳しくわからない、名称などは揺れがある。中近東の名称は、皆よく似てて分からない。

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アケメネス朝ペルシア

BC550年、オリエントには4王国、メディア、リュディアと、エジプトと、新バビロニアが分立す。ペルシス出身キュロス2世、(現在、イラクのファールス州)、メディア王国倒した後、ほか3国も征服し、オリエントの地統一す。アケメネス朝ペルシアが、ここに成立いたします。言葉は古代ペルシア語、文字は古代の楔形。ゾロアスター教信仰し、首都はペルセポリスという。

最も栄えた3代目、ダレイオス1世時代には、版図は北西インドから、バルカン半島の南まで、広大な領土保有した。ギリシャも征服しようとし、ペルシア戦争起こしたが、マラトンの地で敗北し、サラミス海戦でも負けて、惜しくも断念することに。その後もギリシャと対立し、ペロポネソスの戦争で、ギリシャ同士の共倒れ、狙っていたが果たせずに、干渉するに留まった。

BC330年、ダレイオス3世の代に、マケドニアからやってきた、アレキサンダー大王と、ガウガメラでの戦いで、ペルシア軍は敗北す。こうして滅んだペルシアは、ディアドコイたちの戦争で、セレウコス朝に組み込まれ、ペルシア一旦滅亡す。

アルケサス朝パルティア

BC247、パルティア地方を支配した、中央アジアの遊牧民、アルケサス1世登場す。セレウコス朝は弱体し、パルティア地方の総督が、セレウコスから独立す。アンドラゴラス総督を、アルケサスらが打ち破り、パルティア王国建国す。その後も勢力拡大し、ミトラダテスの1世が、アルメニアまで征服す。当然、ローマと対立し、何度も戦争起こるけど、ローマ人との交渉で、ユーフラテスの川ベリを、国境として認めます。

その後も内紛絶えずして、パルティア帝国弱体化。アルメニア巡る問題で、ローマと対立激化する。ローマ皇帝トラヤヌス、軍事介入決意して、アルメニアまで進軍す。パルティア軍は微弱にて、アルメニアの地ローマへの、属州になると決まります。それでも止まらぬトラヤヌス、パルティアの地に親征す。ユーフラテスの川超えて、ローマ軍団浸透し、メソポタミアの地に向かう。パルティア王のオスロエス、ローマ軍から逃げ出して、パルティアいよいよ弱体化。

その後も王が出るものの、ローマと対立避けられず、何度も侵略受け続け、弱くなったと思われる。この後のパルティア王国の、歴史がほとんど残されず、ポッカリ情報抜けている。おそらく弱体し続けて、次の王朝現れて、滅亡したと思われる。

サーサーン朝ペルシア

AD224年、ペルシスの地に現れた、アルダシールの1世が、ホルミズダガーンの戦いで、パルティア王国打ち破る。実際、アルダシール王、不明な点が多すぎて、出自があんまり分からない、サーサーン誰かもわからない。ゾロアスターの宗教の、神官だという説もある。宗教国家の色濃くて、他の宗教を排他する。マニ教、仏教、キリスト教、すべてを弾圧したという。

国の東北方面に、エフタルという遊牧民、少なからずも侵略し、被害が及ぶこと多い。常に国境付近には、エフタルの脅威存在し、紛争何度も重なって、ついには政治に干渉す。469年に、ペーローズ1世時代には、エフタル相手に戦うも、逆に破れて捕虜になり、息子を人質出す始末。エフタルという民族は、白いフン族、意味する語。フン族という名称は、馬に乗った人のこと。名前が知れたフン族で、アッティラ王が知られてる。ガリア地方に侵入し、その残虐さ有名だ。

ホスロー1世統治の代、サーサーン朝ペルシアは、王朝として最盛期。政治と軍事、宗教に、それぞれ改革などをして、社会秩序を回復す。文化的にもこの時代、「アヴェスター」などの聖典が、翻訳整備などされて、大いに後代、役に立つ、学問的にも絶頂期。

628年に、大洪水で消耗し、農作物が大打撃。また内戦が勃発し、王朝内部が弱体化。そこに興ったイスラム教、勢力拡大しはじめて、サーサーン朝に侵入す。イスラム勢力強すぎて、サーサーン朝負け続け。首都クテシフォンを包囲され、ヤズデギルドは逃げ出した。642年には、ニハーヴァンドの戦いで、サーサーン朝は敗退す。ヤズデギルドは亡命し、651年に、サーサーン朝滅亡す。


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