ジャンボ鶴田最強説を改めて考える

リラックス

本当に昔のことですが、プロレスの団体が、全日本 と新日本しかなかった時代がありました。そのころ、管理人はプロレスをよく見ていたような気がします。テレビでも放映していたし、地方巡業や東京ドームにも見に行きましたね。

いまや多くの団体がありすぎて、プロレスもよく分からなくなっています。日本ではそれでも結構、人気が続いているみたいです。管理人の場合は一度気持ちが離れてしまうと、興味が戻らなくてあまりプロレスを見なくなってしました。

しかし、リアルでプロレスを見るというものはやはり楽しいものです。場外乱闘なんかで逃げ回りながら写真を撮ったりしましたね。今思うと、楽しかったんだなと思います。

ジャンボ鶴田の驚異の強さ

全日本プロレスにかつてジャンボ鶴田というチャンピオンがいました。ジャイアント馬場の愛弟子で、全日本を支えた逸材でした。もともとはバスケットをやっていましたが、中央大学の法学部に在籍中にレスリングに転向します。オリンピックに出場したかったためというのが定説になっています。

レスリングで頭角を現し、1972年のミュンヘンオリンピックに100kg級で出場を果たしました。その活躍ぶりをジャイアント馬場に見初められ、全日本プロレスリングにスカウトされました。スター選手としての活躍ぶりを約束されたような選手だったのです。その後、海外を武者修行して日本に凱旋します。アメリカ仕込みのレスリングテクニックは本物でした。

ジャンボ鶴田の代名詞といえば、やはりバックドロップでしょう。海外の大物レスラーや後に四天王と呼ばれた後輩達を投げまくり、フォールを奪った大技です。その他にも、ダイナミックなパワーボムで天竜源一郎を失神KOさせたり、華麗なフォームから繰り出すフロントスープレックス、ジャーマンスープレックスも見事な威力を誇りました。

管理人が好きな技は、ドロップキックです。ジャンボ鶴田のドロップキックはジュニアヘビーやルチャの選手が見せるような軽さや探りはでなく、あくまでも両足で蹴ってフォールを奪いに行く技に見えました。師匠のジャイアント馬場の16文キックのような名前はつかなかったけど、あの重いドロップキックを喉元に打たれたら相当なインパクトだろうな、と思います。

スタミナがすごい

技のキレも素晴らしかったですが、驚くのはそのスタミナです。これも「ジャンボ鶴田最強説」をいまだに唱える人がいることの、一つの根拠となっています。とにかく持久力がすさまじく、他の選手たちがバテバテでも鶴田には余裕があるのが常でした。どんな大技をうけようが、何度でも立ち上がって投げにくるその姿は、本当に驚異です。

そのスタミナは、幼い頃、実家が農園だったので、手伝いで重いものを持って歩いていたことから地力が育ったのだという説もあります。しかし、それだけでは計り知れないような持久力の持ち主としか思えません。100kg以上ある相手の選手を、なんども持ち上げて投げるという動作。引きずって歩いたり、抱えて立ち上がらせたりすることの牽引力などは、レスリングというスポーツで培われたものでしょうが、その完成度は尋常ではありません。

普通の選手だったら、最後のほうはバテてしまい、技も疎かになったり、集中力がきれてしまうのですが、鶴田の試合を見ると最後まで綺麗に技が入っています。これもトレーニングの賜物でしょうが、どうしても「天才」という言葉を使わずにはいられません。プロレスにおいて、天才は何人もいるでしょうけど、鶴田の才能はそのなかでも頭一つ飛び出していたように思えます。

仕事を離れると普通人だった

全日本のリングでは馬場に続くNo.2、若きリーダー、王者として君臨したジャンボ鶴田ですが、リングを離れると本当に普通の人だったようです。後輩レスラーたちを君づけで呼び、あまり一緒に酒を飲み歩いたりせずに、ホテルで一人で過ごし、読書することが好きだったようです。

あのパワーあふれるレスリングスタイルを見ると、本人も豪快な性格なのだろうと思ってしまいますが、個人としての鶴田友美は常識をもった一般人でした。身体を壊してからは大学に入り勉強するなど、本来、勉強に関することが好きだったのです。大学にもスポーツ推薦ではなく、一般入試で入っていますから、当時のレスラーのなかでは変わり種だったのかもしれません。

そんな鶴田も病気には勝てませんでした。B型肝炎が原因の肝臓がんで49歳の若さで無くなってしまいます。天才は早死するという、一つのテンプレートのようなものなのかもしれません。あまりに強く、余裕があるように見えたため、こんなに早く亡くなってしまうとは誰も思わなかったでしょう。すくなくともあと10年はジャンボ鶴田の時代が続くはずだったのですから。

現代は、待遇に恵まれないレスラーが多です。それに比べるとジャンボ鶴田の選手生命は、短くても、充実していたように思えます。全盛期が短いことも最強伝説に尾ひれをつけることになりますが、管理人が覚えている限りでは本当の実力者としか思えませんでした。やっぱり最強の名はジャンボ鶴田にふさわしい、と考えます。


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