クーデターは思想ではなく、テクニックである

リラックス

安倍総理の総理辞任によって、菅内閣が誕生しました。病気による辞任という、あまりにも穏やかな理由で総理大臣が代わったので、前内閣が継続しているような感じは拭えません。政党どうしの争いや政権奪取に向けての活動が無いというのは、なにか区切りが見えないものです。

近年、SNSなどがきっかけとなり、政変にまで発展するような事態も起こっています。クーデターという、暴力に訴えた政変もあり得るわけです。クーデターでは、日本では二・二六事件などが有名です。最近ではベラルーシで大統領の退陣を要求する抗議デモが過激になっています。これもクーデターに発展する可能性が高いといえるでしょう。

クーデターとはなにか

クーデターとはフランス語で「国家に対する打撃」を意味するそうです。主に暴力を利用した政変ということになります。フランス語であることは、近代的なクーデター発祥がフランスだからです。フランス革命やクーデターといった政変が立て続けに起こった国ですから。

『クーデターの技術』(クルツィオ・マラパルテ、中公文庫)では、クーデターに必要なことは以下の3点になります。

  1. 軍隊(もしくはその一部)の把握。
  2. 主要国家の支持。
  3. 大統領府、空港、放送局、銀行の掌握。

まずは軍隊という行使力がなければクーデターは成り立ちません。その把握は必要です。次に、クーデターが起こった時に外国からの介入があっては難しくなります。少なくとも、一つ以上の主要国家の支持が必要です。そして、大統領府という政権の中核を抑えるのはもちろん、主要な場所として放送局を奪取することは必要です。国民に対してこのクーデターは正当であることをアピールしなければ、反対勢力を鎮圧することができないからです。

このように考えると、クーデターは、いくつかの特殊な条件においては、やり方を知っていれば誰にでも実行可能な技術である、という結論に落ち着きます。革命と違い、イデオロギーや民衆の支持などは後づけでもいいのです。

初めての現代的クーデター

上記本の第5章には、初めての現代的なクーデターの実例として、ナポレオン・ボナパルトが行ったブリュメール18日のクーデターが挙げられています。

1799年11月9日、当時、総裁政府だったフランスで、5人の総裁の一人であったシェイエスが政局の安定化をはかり、現政府の打倒、統領政府の樹立を計画していました。この計画では、軍事力として、エジプト遠征から戻っていたナポレオンが把握している軍隊を利用することになります。シェイエスはナポレオンに接近し、五百人会という議会を軍隊の力で制圧することにしました。

しかし、ナポレオンはこの時、クーデターというものを理解できていませんでした。あくまでも、合法的に政権を奪取することにこだわったため、初めから軍隊を議会に突入させることはしませんでした。演説で議員達を説得できると思っていたのです。

しかし、ナポレオンの演説に議員は反発し、議場は大荒れになります。ナポレオンも失敗を悟り、一度は議場を退出します。運が良いことに、ナポレオンの弟のリュシアンが「共和国の軍隊を破壊しつつあるピットの手先を議場から一掃せよ」という演説で軍を動かし、議場に突入、制圧することに成功しました。ナポレオンはかろうじてクーデターを成功させたのです。

クーデターはテクニック

クーデターは短兵急に、政治の中核を抑えることが肝要です。このことに失敗すると、反対勢力との内戦、紛争という最悪の事態になることさえあります。

ブリュメール18日のクーデターを成功させたナポレオンは、統領政府の第一コンスルとなり、その後フランスは帝政へと進んでいきます。クーデターを計画し、実行したシェイエスではなく、ナポレオンが頭角を現したのは、軍隊を率いていた強みと、ナポレオンの権力に対する嗅覚が、シェイエスを上回っていたからでしょう。

後にナポレオンも「シェイエスらが首謀しただけで、私は手先に過ぎず、主役ではなかった。ただ果実だけは頂いた」と述懐しています。初めてのクーデターだったので、前例がなく、リュシアンの機転によって偶然成功しただけと言えるかもしれません。しかし、ナポレオンにとっては権力の頂点に立つことになった大きな成功でした。

このクーデターにはイデオロギー的な側面は希薄です。おもにテクニックの問題だったのです。クーデターは技術であるという主張をここから伺うことができると思います。


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