暗いトンネルを抜ける時のような気分

メンタル

台風が上陸しなかった週末、ほっとしてましたが、雨は降っていて気分的にはあまり上がるものではありませんでした。気圧の関係か、天気が目まぐるしく変わるような日は、なにも楽しめない、何も出来ないという嫌な気鬱になりやすいのです。

夜の帰り道、トンネルがあります。短いものですが、今夜は明かりが点いていませんでした。故障していたのでしょうけど、暗いトンネルというのは不気味なものです。

明かりのない暗いトンネル

明かりの無い暗いトンネルというのは、本当に気が滅入る場所です。さすがに、心霊的なものには怖さを感じなくなりつつありますが、子供のころは本当に闇というものは恐ろしかったと思います。

いまでも思い出すのは、夜に川べりを歩いていた時、ふと対岸の自分の影を見ると、すぐ後ろに人間の影があって、いまにも追いついてきそうに見えました。単に、自分の影が複数の光源で二重になっていただけなのですが、息が止まりそうなほど驚きました。同時に、昔の人はこういうものを見て幽霊や妖怪というものを想像したのだなと、心の底から納得できたのです。

闇というのはなにもかも包み込んでしまうことが恐ろしいのでしょう。人間は目に頼りすぎているので、視界を奪われるとしばらくは無力になります。普通の闇なら、落ち着いて対処すれば、やがて目がなれてくるのでなんとかなるのですが、心の闇、うつ症状のトンネルではそう簡単にはいきません。

何かを探して進まなければならない

真っ暗な闇の中に居るとしたら何をしなければならないでしょうか?それは、手探りでもなんでも良いので、なにか手がかりを探して進むことです。微かな光でも、凹凸でも、小さな音でもなんでも良いので、変化を探し、見当をつけて前に進んでこそ出口に出られるのです。

うつ症状の真っ只中に居る時は、周囲のことが見えているようで見えていません。確かに、世界の中にはいるのでしょうけども、見つめている先が自分の心の内面にすべて向かってしまっているので、何も見えず、聞こえず、ただ無力に漂って困惑しているだけのようです。自らの心を見据えているようで、実は何も見ようとしていない。そこに焦りを感じているけどただ時間が経つだけの、虚無の世界にいるのだと思います。

そういうときこそ、心の平安が必要です。なにかベースとなるものがあれば、そこから始められます。なんでも良いのです。自分の周りにいる人や、ペットの存在、まだ見たことのない土地のこと。自分が横たわっている寝具の寝心地の良さでもなんでもいいから、変化を感じることです。なにもない、と思い込めば、どんなに豊かなところにいようが虚無です。逆に、空気があると思いこめば何も持たなくてもリラックスできるのです。

いっそのこと、泥になってしまえばいい

何も楽しめず、何も出来ず、何もないと思いこんでいる虚無の世界の住人には、「きみは素晴らしいものをすでに持っているじゃないか」と言っても耳を貸しません。なぜならば、それがあるということを認識できないからです。

教えてもらうことと、自らが発見することでは、雲泥の違いがあります。たとえどのような小さなことであっても、自分で体験して勝ち得たものは、得難い経験となります。それが、病気であっても、健康であっても同じことです。

一般の人は、健康を軽視しますが、一度でも健康を損なうとその尊さがわかります。人から健康は大事だよと言われたところで、経験しなければ分からないのです。うつのトンネルの中でも同じで、そのトンネルは人さまざまであり、もしかすると一生抜けることができないほどの長い長いトンネルにいると思いこんでしまうかもしれません。

しかし、そういうときこそ泥沼の泥の底から始めるべきです。泥でもいい。なにか、そこに在るということが分かることが大事です。これこそ、自分を客観視することに繋がります。人間界という世界に在って心の平安を得るには、自分を自分と認めることこそ大事であると思います。


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